思えない」という、すさまじい認識を披露して政治男女均等法案に
反対した西田昌司は、ほかでも差別的認識を示しています。
とりわけ強烈なのは、婚外子差別です。
2013年9月に婚外子の相続差別に違憲判決が出たとき、
自民党のお歴々から猛烈な反発が続出したのでした。
その中でも西田昌司はとくに激しく反発していました。
「ちゃんとした子ども?」
「違憲判決に反対論噴出」
西田昌司の婚外子差別は、次のように表現されています。
「自民法務部会 民法改正案の了承見送り」
改正案に慎重な西田参議院議員は部会のあと記者団に対し、
「最高裁判所の非常識な判断に従って法改正をしてしまうと、
婚外子がどんどんできて家族制度が崩壊してしまう。
慎重に考えなければならない」と述べました。
「「ちゃんとした子どもを作って国力増強!」と連呼する婚外子差別のメンタリティ」
なぜ婚外子と婚内子に差別規定を設ける
必要があるのかについて、西田氏はこう言った。
「ちゃんとした家庭で、ちゃんとした子どもを作ることによって、
ちゃんとした日本人が出来てですね、国力も増えるんですよ」。
「ちゃんとしていない子どもは国力の増強に
役立たないからいらない」「国家は子どもを出生で選別するべき」
という危険思想にして差別思想です。
「ちゃんとした」なんて、かくも安易に人間査定ができる神経が、
わたしにはとうてい理解しがたいです。
「使える人間」「使えない人間」、「ちゃんとした人間」
「ちゃんとしていない人間」、こうして国全体がブラック企業化していく。
人間そのものに、短絡的に○か×かをつける。
ならばと、自分が生き残るために、誰かの淘汰を歓迎する。
現政権が躍起になって残そうとする婚外子差別は、
どうしても守りたい「伝統」とやらの陳腐さと横暴さを教えてくれる。
西田昌司は強烈なまでに「家族思想」を「信仰」しているものと思います。
この「信仰」とは、戦後民法によって規定された家族制度と、
「夫が働き妻が専業主婦」という高度経済成長期に浸透した
ライフスタイルを金科玉条のように守る、家族イデオロギーです。
「家族思想信仰の「経典」」
この家族イデオロギーは、「信仰」に合致した家族だけが、
「正しい家族」「あるべき家族」となります。
それを西田昌司は、「ちゃんとした家庭」「ちゃんとした子ども」と
表現しているということだと思います。
婚外子は「信仰」に合致しない「異教徒」です。
「異教徒」はそれだけで存在を認められないイレギュラーであり、
西田昌司はそれを「ちゃんとしない」と表現するわけです。
「国力も増えるんですよ」というもの言いは、
高度経済成長期に「家族思想」にもとづく家族のありかたが、
浸透していったことを指しているのでしょう。
「夫が働き妻が専業主婦」というライフスタイルを定着させれば、
生産性が上がって経済発展すると信じられたのでした。
ライフスタイルとの因果関係はともかく、高度経済成長は実際にあったので、
西田昌司はいまでも「家族思想信仰」を遵守することで、
国力が増強すると信じているのだと思います。
実際には、婚外子差別をなくすことで、出産に対するハードルが下がって
出生率の回復が期待できることは、言わずもがなです。
西田昌司のように家族や子どものありかたを
画一にしようとする人たちこそ、少子化のもとを作り
ひいては国力の低下を招いているということです。
「最高裁判所の非常識な判断」というもの言いは、
自分が信奉する家族思想信仰こそ最高にして絶対という
信念にもとづいているものと思います。
西田昌司は、裁判所の法的判断よりも
「信仰」が優先すると思っているということです。
原理主義者にありがちな考えかただと言えます。
「家族制度が崩壊してしまう」というのは、
異教徒が増えて、自身が奉じる「信仰」にもとづいた
家族だけの世界が損なわれることを指すのでしょう。
「家族思想信仰」は、すべての家族が「信仰」に
もとづくことを前提としているからです。
実際に崩壊するのは、西田昌司のあたまの中にある「信仰」です。
西田昌司くらいファナティックになると、
「信仰」と「現実」の区別がつかなくなるのでしょう。
日本では婚外子が国際的に見て異様に少ないことが
「誇れる」ことだと考えるのは、「信仰」のきわみだと思います。
「異教徒」がいない世界を作ることが、「家族思想信仰」であり、
その「信仰」が実現していることになるからです。
「信仰」の「信者」なら誇りたくなりそうです。
西田氏は、日本の婚外子は2.2%で国際的にも低く、
これは誇るべきことだと繰り返す。
イレギュラーが目立たないことを誇るのだ。
欧米の民主主義国ではなぜ婚外子が多いのかは、
1. 婚外子を差別する社会通念がない
2. 婚外子を持っても社会保障や法的な制度で不利にならない。
という事情によります。
欧米の民主主義国にはすでに嫡出概念がなく、
婚外子と婚内子を区別するという考え自体がないです。
「出生率の上昇と婚外子」
少しデータが古いですがスウェーデンの場合、
「平均初婚年齢>第1子出産年齢」となっています。
結婚せずに子どもを持ってもさほどの不利がないので、
子どもがひとり目のときは、婚姻届けを出さない
カップルが多いということです。
日本で婚外子が極端に少ないのは、「婚外子が差別される
はなはだ不健全な社会だから」ということになります。
なにも誇れることではないということです。
日本で婚外子が少ないことを「誇れる」と思っている人は、
差別意識や文化的偏見を露呈しているのは、もちろんのことです。
また「自身の信仰に凝り固まって、外国の事情が
まったく理解できない頑迷な偏屈者」でもあると思います。
「フランスの高出生率を支えるもの−−移民の子だくさんという先入観。」
一つは「婚外子」ということばに否定的な価値判断を込めて、
フランスの「婚外子」の多さに高出生率の
陰の部分があるようにみせかけようとする論。
「婚外子」にさも問題があるかのように語る人は、
単に自分の文化的偏見を示しているにすぎず、
何が問題か客観的なデータで語ることができない。
何が「ちゃんとして」何が「ちゃんとしていない」のか。
決めるのは政治家でも天皇陛下でも無理。
「信仰」に固まった日本はある意味脅威です。
>何が「ちゃんとして」何が「ちゃんとしていない」のか
そういう人間の選別が安易にできる感性は、
かなり恐ろしいと思います。
>「信仰」に固まった日本はある意味脅威です
本物の宗教よりも強烈ですから、本当に脅威なのだと思います。