2017年01月15日

toujyouka016.jpg 保育園落ちた・バリバリの左派?

「保育園落ちた日本死ね」は、「バリバリの左派」が
「キレて貶せば人が動くと思って」やったなどという、
とてもうがった見かたをするかたがいます。
それについてわたしが思ったことを、お話することにします。

「「保育園落ちた日本死ね」は「バリバリの左派」?」
「とある生物学徒の「保育園落ちた日本死ね」評について思ったこと」

 

「保育園落ちた日本死ね」の記事を書いたかたは、
どこにでもいるであろうひとりの親です。
その立場であの匿名記事を書いています。
「バリバリの左派」というわけではないです。

「「保育園落ちた日本死ね」」

「とくダネ!」は投稿者に話を聞いた。東京都に住む30代前半の女性だった。
事務職の会社員で、3月(2016年)で1歳になる息子がいる。
育児休暇が終わって、いざ働こうと思ったらこうなったという。
「理不尽さを感じて、独り言のつもりで投稿した」のだそうだ。


同じ経験をしたかた人ちがたくさんいるから、
「保育園落ちたの私だ」と言う人が次つぎと現れて、
この匿名記事は拡散したし、国会前に集まって
抗議活動をするかたたちも出てきたのでした。

「「保育園落ちた」集会と署名」

ツイッターでは《#保育園落ちたの私だ》という
ハッシュタグ(検索ワード)ができ、議論が盛り上がった。
《同じ悩み抱えてる人がたくさんいるからブログが広まった》
《仕事だけでなく、親や子どもが外とつながる機会を持つ意味でも
子どもを預けられることは大事》。投稿は相次ぎ、
2千回以上リツイート(転載)されたものもあった。
「保育園落ちたの私だ」。
そんな紙を掲げた人たちが5日、国会前に集まった。
子どもが保育園に入れなかった人、子育てを終えた人、
これから子育てする人など、約30人。
深刻な待機児童問題に危機感を抱いた人たちがツイッターを通じてつながり、
雑談しながら立っているだけの、静かな抗議行動だ。

「保育園落ちた日本死ね」は記事を書いたかたも、
賛同や共感をしたかたたちも、どこにでもいる「一般の市民」です。
保育所に入れなかったことに不満を持ったり
抗議をすると「バリバリの左派」だというなら、
日本中「バリバリの左派」だらけだと思います。


匿名記事を書いた動機は、保育所の不足が
自分の生活に関わる切実さと、それをいっこうに
政治が改善しない理不尽さ、そしてその不満を
どこにぶつけたらいいのかわからないという気持ちからです。

http://taraxacum.seesaa.net/article/434971708.html

ご覧の通り、保育所の定員オーバーであろう理由で、
入園の抽選から落とされたかたが、保育所の増設や子ども向け政策に
不熱心な政治の理不尽さを、激しい口調で書いたものです。

保育園の抽選に落ちたことで子どもを預けられず、
職場復帰が難しくなって生活が危機的になったこと、
保育園を増やせず、子ども向け政策のための予算も増やせない政治への不満、
それで「一億総活躍」「少子化対策」などと言っている
政府の虫のよさ、といったことを書いています。

http://blogos.com/article/166733/

今回の非難の対象は、どこか特定の個人でも、
特定の政党でもなければ、政治家を非難するものでもなかった。
当初安倍総理を非難するものでもなかった。

誰を非難していいかわからない。自治体を非難すればいいのか。
市役所さんの職員さんを非難すればいいのか。保育園を非難すればいいのか。
県を非難すればいいのか。国を非難すればいいのか。
それとも競争に受かったお母さんたちに怒りをぶつければいいのか。
誰にぶつけていいのかわからない結果、
「日本死ね」っていう言葉になっているんですよね。
決して個人攻撃や、ぶつける対象を間違っているものでもない。

「理不尽さを感じて、独り言のつもりで投稿した」と
あるように、記事を書いたかたは、ここまで反響を呼んで
拡散するとは、思っていなかったのでしょう。
「キレて貶せば人が動くと思って」記事を
書いたのではないことは明らかです。

記事を書いた人も、賛同や共感を示したかたも、
自分の生活が改善されない理不尽さや不満から、
怒っているかたは多かったと思います。
「キレて」と表現できるものかどうかは、別だと思います。


山尾志桜里議員が、「保育園落ちた日本死ね」を、
国会で取り上げることにしたいきさつは、以下の記事に少し出ています。

女子学生のインターンとの議論がきっかけでした。
待機児童問題という、多くの市民の生活に関わる
切実な問題を取り上げたいと判断したことによります。

「<山尾志桜里議員インタビュー>「絶望の中から希望が生まれた」ー待機児童問題」

今回の「保育園落ちた」の話のきっかけを話すと、
女子大生のインターン生たちに普段から予算委員会で
取り上げる内容について意見を聞いているんですが、
そしたらあの女子大生たちが、「山尾さんやっぱりこれですよ。
『保育園落ちた死ね』ですよ」と。

「やっぱりこれか」と、「そう思う?」って聞くと、
「私たち本当に怒っている。本当にこんなんじゃ夢持てません」って。
夢を紡ぐ子育て支援だけど、『夢紡げません』」みたいな話になって、
それをきっかけに私は国会で取り上げました。

国会で質疑するのですから、政治が動くことや、
政府の政策決定に反映させることは、当然目指しているでしょう。
それでも世論から大きな反響があって、
流行語に選ばれるまでにいたるとまでは
思っていなかったし、目指してもいなかったと思います。


「バリバリの左派」が「キレて貶せば人が動くと思って」やった
なんてうがった見かたは、どうやったらできるのかと思います。
イデオロギーでしか政治を考えられないのかもしれないです。

問題のツイートの人は、男性の理系研究者ですし、
おそらく保育問題とは無縁のところにいるのでしょう。
保育園不足問題の切実さは、まったく理解できない、
ということかもしれないです。


問題のツイートの人が、イデオロギーでしか政治を考えないことは、
次のツイートにも現れていると思います。
突然出てくる「福島差別」やら「反差別」やらです。


ここでこういう主張をする人は、こういうイデオロギーだから、
ああいう主張やそういう主張もしているだろう、
という根拠のない思い込みだと思います。

「保育園落ちた日本死ね」に理解や共感をした人たちが
原子力政策や、反レイシズムに関心があるとは限らないでしょう。
ぜんぜん関心ないかたも多いと思います。
(原発推進のかたもいるかもしれないですよ?)


上述の抗議行動を起こしたかたたちをはじめ、
「保育園落ちた」問題に関わっているかたは、
あくまで保育園の不足をなんとかしたいから声をあげたのであり、
保育園問題の解決のために行動していました。

イデオロギー重視の集会にありがちな、
あれもそれもとセットで別の政治課題をくっつけて
主張しにくる人なんていなかったです。

posted by たんぽぽ at 23:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 政治活動・市民運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
たんぽぽ様、こんにちは。
少し疑問に思ったのですが、この左だなんだととんちんかんな事を言っている方々は、件の記事の全文を読んでいるんでしょうか?
正直、あの語りを読めばそこに書かれていることが脅しどころか慟哭であると、誰の目にも明らかではないかと思うのですが。
確かに死ねという言葉は悪い意味でキャッチーですが、それはむしろぶつけようのない怒りと悲しみを、ほかに現す術がなかったからでしょう?
自分は未だにこの言葉が流行語にならざるを得ない現実が悲しいです。あまりにも辛い現実、なんとかのミクスなんて、それこそ中身のない自慢をしている暇があるなら、オリンピックでくだらない見栄を張る余裕があるのなら、少しでもこの慟哭に応えるべきではないのか。
右の左のとくだらない、本当にくだらない。
Posted by aka21 at 2017年01月17日 02:03
aka21さま、
このエントリにコメント、まことにありがとうございます。

>この左だなんだととんちんかんな事を言っている方々は、
>件の記事の全文を読んでいるんでしょうか?

ろくに読んでいなくて、間接的に流れてくる情報だけで
判断している可能性はあると思います。
「反権力、反体制っぽいので左翼なんだろう」
くらいの認識ではないかと想像します。

>正直、あの語りを読めばそこに書かれていることが脅しどころか慟哭であると、
>誰の目にも明らかではないかと思うのですが

読んだところで、やはり同じような認識になった
可能性もあると思います。
保育園問題が切実な人たちの生活なんて、
はなから理解していないでしょうし、
理解する気もないのではないかと想像します。


>自分は未だにこの言葉が流行語にならざるを得ない
>現実が悲しいです。あまりにも辛い現実

それはわたしも同感です。
「保育園落ちた日本死ね」に賛同や理解、共感を示したかたたちは、
みなそう思っていると思います。
Posted by たんぽぽ at 2017年01月17日 22:53
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