「男はつらいよ」シリーズの48話(最終話)
『寅次郎紅の花』についての評論もしています。
「「男はつらい」のは「男が悪い」で片付けられてしまうのか?
女は悪くないのか??? −−「男はつらいよ」最終作への不満」
この「解釈」があまりにナンセンスですさまじいものと
なっているから、嫌になってしまいます。
ここで問題になっているシナリオは、イズミが上京してきて、
見合いした相手と結婚することになりそうだ、ということを、
以前から想いを寄せていたミツオに打ち明けるくだりです。
「男はつらいよ 寅次郎紅の花」
「第5430回「男はつらいよ全集 その48、寅次郎紅の花 リリー:浅丘ルリ子」(最終作) 」
ところが、寅の甥の満男に大事件が起こる。
以前から想いを寄せていた泉が突然上京したかと思うと、
医者の卵との縁談の相談を持ち掛けてきたのだ。
動転した満男は、泉の縁談を祝福するような心にもないことを言ってしまう。
泉ちゃん(後藤久美子さん)が上京したのです。
「先輩、わたし結婚することになったんです。
でも、その前に、先輩の考えを聞きたくって」、ですが、
満男は好きだと言えませんでした。
泉ちゃんは、先輩に「結婚なんかやめろよ」と言ってほしかったのですが・・・・。
泉の結婚相手は、津山の旧家出身の医者でした。
今は研修医ですが、将来は父親の跡を継ぐ予定になっています。
もちろん、泉のママ(夏木マリさん)は、大喜びです・・・・。
願ってもない縁談です。
イズミは不本意な結婚をすることになったわけです。
それで自分の意中の人であるミツオに、自分の運命がそのように
決まりかけていることを伝え、できればミツオに自分を
この運命から救い出してほしいと、望んでいるということです。
なぜ結婚が不本意なのかは、作中では語られないですが、
ありそうな事情はある程度推測できます。
年収の多い男性と結婚しないと、女性ひとりの収入では
生活できないという、経済的事情が考えられます。
結婚相手は将来が期待できる医師の卵です。
そもそも女性がいつまでも結婚せず単身でいるだけで、
まわりから圧力がかかることは、55年体制時代にはよくありました。
『寅次郎紅の花』は1995年の作品ですから、
独身女性に対する風当たりは、まだまだ強かったでしょう。
結婚相手は地方在住の名家の男性です。
あとに出てくる迷信を信じていることや、
結婚式を妨害したミツオに対する扱いを見ても、
因襲的な風土のようですから、ジェンダー規範が強く、
女性にとって息苦しいことも考えられます。
深淵な非もてのサイトのかたにかかると、
イズミの心理は次のような驚くべき「解釈」がなされます。
イズミが望まない結婚をさせられそうなこと、
そこから自分をミツオに救ってほしいことを、
ぜんぜん理解しないし、理解する気もないようです。
するとイズミは「結婚する前にミツオ君に
言っておきたかった」 のようなことを言う。
つまり、どうやらイズミは、ミツオと見合いの相手とを
天秤にかけようとして いる訳である。
結婚すれば自分の運命が定まるということですから、
ミツオに自分を救い出してほしい以上、
運命が定まる前(=結婚する前)に言う必要があるし、
そうでなければ意味がないに決まっています。
「天秤にかけようとしている」はなんのことだ?と思います。
それでミツオが愛の告白をしないからといって、
すんなりとミツオを諦めて見合い相手と結婚することに
決めてしまえる 投げやりさにも腹が立つ。
望まない結婚から、ミツオが自分を救い出す見込みがないと
思ったのですから、イズミはとても失望したでしょう。
深淵な非もてのサイトの人は、それを「すんなりと」とか
「投げやりさ」なんて、イズミが安易に気持ちが
変わるかのように思っていたりします。
見合い相手との結婚は既定路線ですから、
ミツオがイズミを救い出すことに積極的にならなければ、
そのまま結婚が決まるのは当然です。
イズミの気持ちが容易に変動したのではないです。
全体的に見て、深淵な非もてのサイトの人は、
イズミは簡単に気持ちが変わる人だとしています。
実際のイズミは人生の岐路に立って、救われる望みの
薄い状況下で、深く悩んでいるわけです。
イズミが実在の人物で、深淵な非もてのサイトの人の
「解釈」を見たら、相当に傷つくのではないかと思います。
過去の恋人に「(別の人と)結婚しようと思っている」と言うことは、
過去の恋人からの「蒸し返し」を事前に拒絶する態度と
解釈することもできるし、 その方がむしろ自然な解釈だろう。
イズミは自分が望まない結婚から救われることを
期待しているのですから、「蒸し返しを拒絶する態度」というのも、
なんのことかわからなくて意味不明です。
だって、例えばイズミがミツオのことは既にふっ切れていて、
見合い相手を本当に 好きになって結婚しようと決断していた場合、
ミツオになんと言うだろうか?
その時こそ、「結婚しようと思っている」と言うのではないだろうか。
イズミが「ほかの男性と結婚する」とミツオに言う動機は
「自分の運命が不本意に決まりかけていることを、
自分を救い出してくれる可能性のある人に伝える」で
あることは、言うまでもないでしょう。
望まない結婚をさせられる女性や、そこから救い出す
意中の人というのは、恋愛ドラマとしては、
使い古されているプロットだろうと思います。
こんな古典的なシナリオさえ、深淵な非もてのサイトの人は
ろくに理解できないのかと思います。
(上述の「反論」を書いていて、なんでこんな
わかりきったことをわたしは書いているのだと、
しばしばかばかしくなったりもしています。)
2月24日エントリで、深淵な非もてのサイトのかたによる
金子みすゞの『さみしい王女』の冒涜的解釈を見ました。
深淵な非もてのサイトのかたは、
みずから主体的に生きられず、他人のためにしか生きられない
女性の立場がぜんぜん理解できない人だったのでした。
「さみしい王女とさみしい非もて」
そんなかたにとって、女性は不本意な結婚を強いられやすく、
それが脅威であることや、不本意な結婚から救い出して
ほしい気持ちなんて、想像を絶することなのでしょう。
「意に沿わぬ相手と結婚させられないこと」「結婚しなくても男の経済力に頼らず生きていけること」を女が求めたからこそのフェミニズムなんじゃないのかな。まぁその辺は奴隷解放とか公民権運動とかと同じ構造だよね。
— 宇野ゆうか (@YuhkaUno) 2015年3月27日
モテない男が想定している最悪が「一生結婚できない」なのに対して、モテない女が想定している最悪は「意に沿わぬ相手と結婚させられる」なのではないかと思う。だから、モテない男が女叩き、フェミバッシングに走る傾向が強いのに対して、モテない女はそれほどでもなく、むしろフェミニズムを求める。
— 宇野ゆうか (@YuhkaUno) 2015年3月27日