2017年03月20日

toujyouka016.jpg 旧姓使用裁判・二審で和解

日本大学第三中学・高校の教員が、職場で旧姓の使用を
認められないことに対して学校を訴える裁判がありました。
2016年10月には一審で、原告の訴えが棄却されていました。

3月16日に二審で和解が成立し、原告の教員は
旧姓使用が認められることになりました。

「日大三中・高の女性教諭、旧姓使用裁判で和解 「自分本来の姓、嬉しい」」

「女性教諭の旧姓使用認める=学校側と和解成立−東京高裁」

「人格権侵害訴訟 女性教諭の旧姓使用を認め和解が成立」

「女性教師の旧姓使用認める 学校と和解成立」

 
結婚後、職場での旧姓使用が認められないのは人格権の侵害だとして、
勤務先の私立「日本大学第三中学・高校」(東京都町田市)を
運営する学校法人を訴えた40代の女性教諭の裁判の和解が、
3月16日、東京高裁(大段亨裁判長)で成立した。


原告の教員だけでなく、希望すればだれでも
旧姓を使用することが認められるというものです。

原告側によると、学校側は和解で、税金など一部の事務手続きを除いて、
この女性を含む教職員全員が旧姓を使用することを認めるとしている。

和解の条件として、原告は賠償請求を放棄しています。
原告としては、旧姓が使えることが大事であり、
賠償にはこだわらなかったということでしょう。

弁護団によると、和解成立は16日で、
学校側は申し出があれば他の教諭にも旧姓使用を認める一方、
女性教諭側は賠償請求を放棄するなどの内容。

自分の苗字を取り戻せることになったのは、とてもよかったです。

女性教諭は原告側の代理人を通じて
「自分本来の姓が使えることになり、大変嬉しく思います。
長く辛い時間でしたし、失ったものはもう二度と
取り戻すことはできませんが、たくさんの方々に
励ましのお言葉を頂きました」とコメントを寄せた。


この訴訟の一審では、「個人識別の上で旧姓より
高い機能があるから、戸籍姓の使用を求めることは
合理性がある」などという判決でした。

「旧姓使用の訴訟・原告棄却」

これは2015年12月の「旧姓使用は社会的に広まっていて、
不利益が一定程度緩和される」という、同姓強制を合憲とする
国際的立ち遅れもはなはだしい最高裁判決とも矛盾する、
さらに立ち遅れたものだったのでした。

そのため、東京地裁判決について原告らは
「最高裁判決と矛盾している」と指摘していた。




あまりに時代遅れと矛盾のはなはだしい判決だというので、
国内メディアも批判的に扱ったし、外国のメディアでも、
この訴訟を取り上げるところもありました。

「旧姓使用裁判・メディア記事」
「旧姓使用裁判・外国の報道」


原告は当然一審判決に納得がいかなくての控訴です。
和解が成立して旧姓使用が認められるようになったことで、
最高裁判決との矛盾と、はなはだしい時代遅れぶりは、
まがりなりにも解消されたことになります。


和解に応じた学校側はこんなコメントをしています。
面倒なので認めてやることにした、という感じがしなくもないです。

運営法人は「裁判の長期化は教育機関として双方と生徒、保護者にとって
益がないと判断し、和解を受け入れた」とコメントした。

この学校の関係者は、ほかのみんなは旧姓で呼んでいるのに、
一部の管理職だけが戸籍姓で呼ぶようなところです。
苗字に関して因習的、差別的なのでしょう。
今回和解したのも、そうタイプの人たちにありがちな
「保身」「ことなかれ主義」ということかもしれないです。

「実績と名前を離したくない」
「教諭の旧姓使用認めず 東京地裁判決 戸籍性「合理性ある」」
教諭は生徒や保護者、同僚からは旧姓で呼ばれている。
一部の管理職だけが戸籍姓で呼んでいるという。
こうした学校の対応について弁護団は
「一種のパワーハラスメントだ」と語る。


原告の教員のかたが裁判を起こしたのは、
もちろん自分の苗字のためですが、それ以外にもあります。
生徒に対して「間違ったことを見過ごしてはならない」ことを
示すという、教育的配慮もあります。

原告の教員のほうが、ことなかれ主義的に(?)
和解に応じる学校よりも、ずっと矜持があるというものです。

でも私は教師をしていなかったらこの裁判はしていなかったかもしれません。
もちろん旧姓を使いたいという自分の権利を守るためではありますが、
教師として「間違ったことを見過ごしてはならない」と思うんです。
それでは生徒に示しがつかない。今回の裁判では、結論ありきではなく
真正面から判断してほしいと思います。


ハフィントンポストの記事を見ると、
裁判を起こしたこと自体が不満だという意見もあるようです。

「裁判まですることか」という心無い批判も。

このようなことを言う人は、例によって名前がそれだけ
大事なかたもいることが、理解できないのだろうと思います。
もともと家族やジェンダーに関することは
軽視されがちですが、苗字や改姓の不利益のことは、
それこそくだらないこととして扱われることが多々あります。

ほかに考えられる理由として、「女は改姓して当然」という
因習的、差別的な社会通念ないし既成秩序に
楯ついたことが、気に入らないのだろうと思います。

前世紀の1998年に「関口裁判」という、
旧姓使用を求める訴訟があったのでした。
苗字のことで裁判を起こすのは、いまに始まったことではないです。

「1988(昭和63)年 仕事での「旧姓使用」を求める
女性教員が戸籍名を強制する大学を提訴」


posted by たんぽぽ at 23:47 | Comment(4) | TrackBack(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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この記事へのコメント
是非勝訴という形で本来の姓を名乗っていただきたかったと言う思いと。
一日も早く原告の方が平穏な生活が戻ってきた事に安堵しています。
しかしこんな裁判が起こったのは国の責任は大きいですよ。
選択制夫婦別姓の審議を数十年のらくらした挙げ句、
一昨年の最高裁の判決文すら「無かったこと」
さっさと可決していればこんな裁判は起こらなかったのですから。
Posted by わんわん at 2017年03月21日 18:23
わんわんさま、こちらにコメントありがとうございます。

>さっさと可決していればこんな裁判は起こらなかったのですから

まったくです。
いつまで苗字のことで、裁判を起こさなければ
ならないのかと思います。

訴訟を起こせば原告が必ず勝つなら、
どしどし裁判に訴えるという手もあるとは思います。
この訴訟の一審のようなことがあるので、
裁判も必ずしも効果的でないから、嫌になってしまいます。
Posted by たんぽぽ at 2017年03月21日 23:01
いやいや。
どんどん司法に訴え、国や世論に訴えていくのも必要ですよ(原告の方に酷なコメントなのは承知していますが)
現に地裁判決の時は報道機関が一紙を除いて判決に懐疑的な報道でしたし、学校側の評判はかなり落ちたと聞いています
Posted by わんわん at 2017年03月22日 10:30
またまたコメントありがとうございます。

可能ならば、どんどん裁判に訴えていくのは、よいと思いますよ。
裁判を起こしても、負担のわりに実入りが少ない
というのが、わたしが嫌になるところです。

裁判の目的は、闘争を通じて世論に訴えることもあるので、
敗訴がまったく無意味ということではないですが。


>学校側の評判はかなり落ちたと聞いています

学校側の内情は、詳しくわからないけれど、
一審で勝訴したことで、自信を持ったのではないかと、
わたしはちょっと思っています。

メディアの多くが批判的な報道だったので、
それで自信をなくしたことは、学校の保身的体質からして、
考えられるとは思いますが。
Posted by たんぽぽ at 2017年03月22日 23:13
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