「夫婦別姓の意識調査 賛成62%「同姓強制する国は珍しい」」
ここで取り上げられている池内ひろ美氏という
家族問題コンサルタントの選択的夫婦別姓に関する認識が、
かなりとんでもないものとなっています。
誤解と差別にまみれた別姓反対派(非共存派)の認識です。
「会社でも合併したら1つの社名を名乗り、
それがアイデンティーになります。家族も同じ。
現状の法律は、夫婦の話し合いでどちらかの名字にするという
極めて自由度の高いものです」と語るのは、
家族問題コンサルタントの池内ひろ美さん。
「会社でも合併したら1つの社名を名乗り」と
言っていますが、ふたつ以上の会社の名前をつなげて
ひとつの名前にすることは、いくらでもあります。
「太陽神戸三井銀行」とかご存知ないですか?
現在は「さくら銀行」となっていますが、
合併前の会社名はどれも使っていないです。
よって多くの場合で妻に夫の苗字を名乗らせる
夫婦同姓と同じということにはならないでしょう。
「それがアイデンティーになります」というなら、
結婚改姓して生来の苗字を失なう側の
アイデンティティの喪失は大きいことになります。
なぜこれを問題にしないのかと思います。
「なぜ選択別姓が必要なのか?>アイデンティティ」
世界のほとんどすべての国で、婚姻後の苗字については
夫婦同姓、夫婦別姓、結合性などいくつか選択肢があります。
その中にあって夫婦同姓が強制されるのは
ほとんど日本だけであり、これは世界的に見て
自由度はかなり狭いほうです。
「世界の夫婦別姓・2010年代の動向」
「夫婦別姓・国連の勧告の記事(2)」
「UNウィメンと最高裁判決」
日本の現行民法を「極めて自由度の高いものです」と思っている
池内ひろ美氏は、どこを見て言っているのかと思います。
国際社会の現状を承知の上で言っているなら、
「デマを流している」と言っていいでしょう。
本当にご存知ないなら、とても専門家と思えないくらい
見識が狭いことになります。
日本の現行民法の運用実態は、社会通念やジェンダー間の
力関係によって、ほとんどのケースで妻に夫の苗字を
名乗らせるという、差別性の強いものとなっています。
日本の婚姻後の苗字の自由度の実態は、
法律の文面よりさらに狭くなっているのですが、
これはどう考えているのかと思います。
4万件に近い離婚相談を受けてきた池内さんは、
「名字さえ一緒にできない夫婦は、
日常のさまざまな問題にも対処できない」と主張。
さらに、別姓による子供への影響も懸念する。
「名字が違うと家族同士の結束力が弱くなります。
子供の成長過程においてはマイナスになるのでは」(池内さん)
夫婦別姓の家庭は「日常のさまざまな問題にも対処できない」と
主張するなら、具体的なデータや事例を出してほしいです。
「4万件に近い離婚相談を受けてきた」なら、
当然示せるだけのデータはあるでしょう。
離婚相談にもとづいているというのなら、
「別姓夫婦は離婚しやすい」と言いたいのかもしれないです。
これについて反対派(非共存派)が出したことのあるデータは、
ドイツの離婚件数の年次推移と、スウェーデンの離婚率です。
「ドイツの選択的夫婦別姓」
「スウェーデンたたき」
「選択的夫婦別姓のまとめ(5)」
これらはふたつともデータの解釈の間違いであり、
選択的夫婦別姓の導入によって離婚が増えた事実はないです。
ほかにあるというのなら、示していただきたいです。
たくさんの離婚相談を受けているなら、
結婚改姓がストレスになり、苗字を奪った夫に
あたり散らしたりして、夫婦仲が悪くなったとか、
結局離婚にいたったというケースもそれなりにあると思います。
実はこれを「名字さえ一緒にできない夫婦は、
日常のさまざまな問題にも対処できない」と
考えているというのなら、お門違いです。
正しくは「名字を無理にひとつにしようとする夫婦は、
日常のさまざまな問題にも対処できない」です。
「子供の成長過程においてはマイナスになるのでは」なんて
子どもを楯に取るのも「お約束」です。
これも「なるのでは」なんて推測ではなく、
具体的にデータや事例を出せと思います。
4万件の離婚相談を受けているのなら、それくらいあるはずです。
これについても別姓の家族の子どもを実際に調べて、
「成長過程においてマイナス」などないことが、
繰り返し確認されていることは、言うまでもないでしょう。
「選択的夫婦別姓のまとめ(6)」
「「家族バラバラ」は杞憂」
別姓の家庭で現実に育っている子どもが、
じきじきに主張することもあります。
事実も根拠もないのに、「成長過程にマイナスがある」ことに
あまりにしてくれるので、当人たちもいい加減
キレてきているのでは、とさえ思うことがあります。
データに関しては、夫婦同姓が強制されている
唯一の国日本において、孤独を感じる子どもが
他国と比べて圧倒的に多いという、
ユニセフ・イノチェンティ研究センターの調査があります。
「孤独を感じる日本の子ども」
「夫婦別姓と家族のきずな問題」
「子どもへの影響」という観点から言えば、
親が夫婦別姓であることでジェンダー平等を示せるので、
子どもにとって教育的配慮となるという意見もあります。
「教育のための夫婦別姓」
そもそもが政治問題で子どもを楯に取るのは、
分が悪い証拠という一般的傾向もあります。
(選択的夫婦別姓問題に関して、「子どもへの影響」を
持ち出したのは反対派(非共存派))
「政治問題に持ち出す子ども」
わたしが気がかりなのは、この池内ひろ美氏に、
家族問題に関して相談をするかたたちです。
選択的夫婦別姓の誤解や偏見、差別的認識にもとづいて、
望まない改姓を押し付けられるかたも、
少なくないのではないかと懸念されるからです。
『女性セブン』の記事に対しては、なぜに池内ひろ美氏の
根拠のとぼしい夫婦別姓反対論に、
こんなにたくさん記述を当てるのかと思うところです。
賛成派の打越さく良氏の意見も載せていますが、
池内ひろ美氏の意見はこの3倍くらいの分量の記述です。
事実や根拠にもとづかない意見を多く載せるのは、
それだけで記事のリテラシーが下がることになります。
あとに出てくるクラブ会員対象のアンケートでは、
賛成と反対の意見を両方同程度載せています。
それなら「識者の意見」の記述の分量も、
賛成派と反対派とで同程度にしてよさそうなものです。
(それでも反対派がずっと有利なくらいです。)
謝辞:
5月29日エントリのコメント欄で、
『女性セブン』の記事をご紹介してくださった魚さま、
まことにありがとうございます。
それはともかく、この池内某氏ですが、「朝日新聞を糺す国民会議」とかの
代表呼びかけ人をやっている、とかいう筋金入りのそっち系の人ですよね。
そんな人物をあたかも「識者」のごとく紹介するとか、ちゃんちゃらおかしいですよね。
>紙面をたくさん使って、反対している人がいかに頭がおかしいかを紹介してくれて
読んだかたが、そのように思ってくれればいいんだけど。
あまりこの問題に詳しくないかたは、
なんとなく反対派の言い分は妥当なんだと
思ってしまうのではないかと思います。
>この池内某氏ですが、「朝日新聞を糺す国民会議」とかの
「あっちの世界」の住人だったのですね。
https://twitter.com/msmsaito/status/658916253172535296
========
池内ひろ美・八洲学園大学教授(家族社会学)は、
「朝日新聞を糺す国民会議」でも、「保守言論界の重鎮や有力者たち」として、
藤岡信勝、水間政憲、山本優美子氏らと
「朝日を糺す国民会議」代表呼びかけ人にも。
http://www.asahi-tadasukai.jp/
かつて朝日によく登場されてたような
========
>そんな人物をあたかも「識者」のごとく紹介するとか、
池内ひろ美氏がどういう人かくらいは、
調べていそうなものですけれどね。
『女性セブン』の記事を書いた人は、
なんとなく選択的夫婦別姓に反対したくて、
反対派に偏った記事を書いたのではないか、
とも思いたくなってきます。
会社は合併したら一つの事業体になるけど、夫婦は別個の人間のままだしね。
だいたい、結束力とか抽象的なもので、全体的な傾向を結論づけようとするから無理がある。いやよね数値データを扱えない人って。
とかいいながら、
結束力ですごく思うのは、卑近な例ですが、私の夫の親兄弟はとても結束力があるな、といつも思うんですね。
新年会をやろう、命日に全員で集まろう、とかね。もともとが結束力のある家庭だったんですね。
一方で、自分の親兄弟はもうバラバラ・・めったに集まらないし、わりと希薄です。
なんでこんなに違うのかなって思うけど、それぞれの環境とか考え方ですね。
単純に氏がどうとかそういうもんじゃない。
で、別に結束力が無いから劣ってるとも思わないしし。それはそれで気楽な関係。
そう、家族のカタチは色々ですよね。
こちらにコメントありがとうございます。
>会社は合併したら一つの事業体になるけど、夫婦は別個の人間のままだしね
会社と人間とで同じにならないゆえんは、そこにもありますね。
法人はしょせん自然人とは違う、ということです。
>結束力とか抽象的なもので、全体的な傾向を結論づけようとするから無理がある。
「結束力」とは具体的にどんなことなのか、
それをはっきりしてほしいと、わたしも思います。
反対派の主張はこのあたりがいつもはっきりしないですよね。
わたしも、たとえばこういうことではないかと考えて、
「孤独を感じる子どもの割合」とか、
データを出したりするだけど。
(この手のデータを出すのは、いつも推進派だと思います。)
>いやよね数値データを扱えない人って。
データに関しては、「はじめに結論ありき」で、
その「結論」に合うように、解釈しているだけだろうと思います。
わたしは何度か言っているけれど、
ようは「家族教」という「宗教」なのだと思います。
「結束力がある=彼らの信仰に合致している」
というだけのことだと思います。
>新年会をやろう、命日に全員で集まろう、とかね。もともとが結束力のある家庭だったんですね。
>一方で、自分の親兄弟はもうバラバラ・・めったに集まらないし、わりと希薄です
なるほどねえ。
集まらないからだめということもないですからね。
当人たちがそれがいいとか、自分たちには
合っているといなら、ぜんぜん問題ないことです。