2017年07月22日

mar0006.gif弱者が弱者を見つけて叩く

東京都議会のセクハラ野次を受けた塩村あやかの
取材記事の最後のほうに、こんなことが書いてあります。

「セクハラやじの後に起きたことは何か。壮大にコケてわかった、東京都議会という「伏魔殿」」
「弱者」になったときに、その泣きっ面を踏みつけるように
追い打ちをかけてくる人がこんなにもいる。
その人たちは「強者」なのではなく、
「弱者」が「より弱者」を叩いていたりする。
背景にある抑圧や、多数派有利の構造を変えなければ解決しません

この「弱者がさらなる弱者を見つけて叩く」という
問題について、少しお話したいと思います。

 
「弱者がほかの弱者を見つけて叩く」という現象は、
はなはだ残念なことに、日本社会でわりと一般的に見られます。

2016年の8月、NHKの特集番組に登場した高校生を、
動画からプライバシーを暴くなどして「本当の貧困ではない」と
決めつける人たちが殺到して、炎上したことがありました。

「子どもの貧困とバッシング」
「子どもの貧困とバッシング(2)」

この貧困高校生のバッシングに加担した人たちの中には、
自身も社会的弱者や貧困層に該当する人も
少なからずいただろうと思います。


「保育園落ちたはばりばりの左翼」発言のかたは、
自分は年収が200万に満たないワーキングプアだと言っています
ところがこのかたは、被差別マイノリティや
彼らを支援する人たちを、ネットで叩くことに明け暮れています。

「弱者が弱者を見つけて叩く」

上述のNHKの番組に出演した貧困高校生の件についても、
バッシングする人たちに理解を示していました。
まさに「弱者がほかの弱者を見つけて叩く」です。

「差別を助け貧困をくじく」


なぜ弱者は連帯できないかということについて
考察したエントリを、前にご紹介したことがあります。
ここでも弱者どうしで攻撃し合うことに明け暮れて、
肝心の強者や社会構造に批判が向かわない人たちが多い、
という現状について触れていました。

「なぜ弱者は連帯できないのか|政治には弱者の支持など必要ないのか」
貧困がニュースで取り上げられるとき必ず出るのが、
「その程度で貧困といえるのか」という意見である。
高年収層は貧困に無関心(貧しい人が身近にいないため、
存在が信じられない)で、同じ低年収層どうしで「お前の苦しみは甘え」
「自己責任」と叩きあっているような印象を受ける。
また、貧困女性がニュースで取り上げられる時、
「女性は風俗で働けるからマシ」という意見が必ず出てくる。
(実際は、男性も体を売って稼ぐことができる)
本当は、男女に分かれて互いを叩きあったりせず、
ともに体を売らずに暮らしていける社会を作るために意見を
出し合う方が建設的なのに、決してそうはならない。
不思議なのは、その攻撃性が「真面目に働いているのに
暮らせない社会」には向かわず、障害年金や生活保護を
もらっている人、または夫の給料で暮らしていける
主婦などの「個人」に向かっていることだ。


「弱者が弱者を叩く」というメンタリティは、
いささか理解しがたいものがあります。
そもそもが自分が弱者であれば、ほかの弱者に対して、
共感を覚えるのが、一般的な社会心理だろうと思います。

弱者が自分の受けている不利益を問題にしたいなら、
原因を作っている強者なり社会構造なりを批判し、
政治や社会で解決することを訴えることが本来です。
べつの弱者を見つけて攻撃しても、
自分の境遇が改善されるわけではまったくないです。

弱者が弱者を叩く状況は、弱者同士でみずから分断される
ということであり、弱者の不利益を作り出すことで
利益を得ている強者や体制にとっては、
自分に批判が向かわないので都合がいい事態です。

弱者どうしを分断して統治するというのは、
強者や体制が効率よく弱者を抑圧する常套手段です。
「弱者が弱者を叩く」のは、強者や体制は自分ではなにもしなくても
弱者が自分から分断されてくれることでもあります。


「なぜ弱者は連帯できないか」を考察したエントリを読んだとき、
「弱者が弱者を叩く」という精神構造について、わたしが思ったのは、
−−−−
1. 「日本は本当は不公平な社会なのに、
多くの人たちが公平な社会」と思い込んでいる
2. 自分たちの生活を政治で解決するという発想にとぼしい
−−−−
のふたつを考えたのでした。

「なぜ弱者は連帯できないか」
「なぜ弱者は連帯できないか(2)」


セクハラ野次の記事を見て、わたしが思ったのは、
「強者中心主義、多数派中心主義が強すぎて、弱者となったとたん、
バッシングにさらされる危険が高まる」ことです。

それゆえ自分が強者になれるべつの社会構造を見つけて、
そのカテゴリでの「弱者」を叩こうとするということです。
これによって自分は強者だとアピールしつつ、
本当は自分も弱者であることを隠蔽して
自分がバッシングされることをまぬがれようとする、
ということではないかと考えられます。

こうした「さらなる弱者を見つけた叩く」人たちを
減らすには、「背景にある抑圧や、多数派有利の構造を
変えなければ解決し」ないことになります。


ここでちょっと気になる記事があります。
強きにへつらい弱きをくじく人たちについてのコラムです。
その典型としてやくざと愚連隊を挙げています。

「ヤクザ体質の評論家」

このようなタイプの人が強くなれるのは、
相手が弱いとわかっているときだけで、
自分を強者にするヒエラルキーが役に立たないところへ来ると、
とたんに弱くなるというお話です。

新兵いじめで恐れられるやくざタイプの上等兵が、
戦場では塹壕間の移動もろくにできない臆病者だった
というお話を具体的に挙げています。
そして安倍政権に媚びたり、相手が野党やリベラルだと
居丈高になる現代日本の評論家たちが、
まさにそのようなタイプだとしています。


わたしが注目したいのは次の指摘です。
これは「強きにへつらい弱きをくじく」という体質は、
日本人に広く見られる精神構造ということになります。

ところで、空威張りしてみせるが、
芯は臆病で卑劣だというのは、ヤクザや愚連隊だけだろうか。
日本人の男優が誰でもうまく演じられる役柄は、ヤクザと兵隊だといわれる。
この事実は、たいていの日本人が潜在的にヤクザや兵隊の
素地を持っていることを意味してはいないだろうか。
事実、日本の男たちの多くは、軍隊で年期を積んでいるうちに、
新兵いじめを楽しむようになるのである。

そうだとすると、日本人にはもともと強者や体制に
立ち向かうことができない人が多いので、さらなる弱者を叩いて
気を紛らわす人が多い、ということになるでしょう。

「弱者がさらなる弱者を見つけて叩く」という問題は、
根深いものであり、「背景にある抑圧や、多数派有利の
構造を変え」ることは、容易ならざるものがある、
ということになりそうです。

posted by たんぽぽ at 19:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 政治活動・市民運動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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