にせ科学批判とネトウヨや冷笑系との親和性が
語られるようになったのは、3.11原発事故以降としています。
「ニセ科学批判とネトウヨが結び付けられるようになったことについて」
このとき、もとからのにせ科学批判クラスタのほかに、
原子力発電や放射線関係の「とんでも」やデマを批判するべく
集まってきた「水増し部分」が、多数にせ科学批判に加わったのでした。
記事では、3.11以前からにせ科学批判をしていた、
もとからのにせ科学批判クラスタはごく少数で、
大半は「水増し部分」であるとしています。
デマ批判が機能したのは「水増し部分」が
あってこそだったとその存在意義を評価しつつも、
にせ科学批判がネトウヨ・冷笑系と結びつけられる
原因を作ったのは「水増し部分」だとしています。
ニセ科学批判クラスタといっても、もともとの「ニセ科学批判派」の声は
流通する情報の割合的にはごくわずかということになる。
俺がやばいと思う層は、じつはこの水増しされた部分である。
デマ批判が機能したのはこの部分あってこそなので、
水増しという言い方は語弊があるのかもしれないが、
しかし、ネトウヨとニセ科学批判がむすびつけて論じられることに
責任があるのはこの層ではないかとも思う。
記事では「水増し部分」をさらに3つのタイプにわけています。
(1)善意を悪用して、自分のイデオロギーをのっける層
(2)人を叩くのが好きな層
(3)理系としての選民思想の持ち主
1.はさらに3つに細分化しています。
1. 文字通りの右翼、ネトウヨ
1A. 反左翼・リベラル、反野党
1B. 「水増し部分」を当て込んだ「御用文化人」
2.は正義の側に立ちたがる人たちです。
ネットには、ローリスク・ハイリターンで「正しい人」に
なろうとして、他人の落ち度探しや粗探しをして
叩きつぶそうとする「ならず者」が、残念ながらたくさんいます。
「正しい人が怖いです」
「正義を懐疑する3条件」
科学的知見というのは、ある程度以上実証されれば、
相対化がほとんどできない「普遍かつ不変の事実」になります。
だれかを叩いて「正義」になりたい人たちにとって、
科学的知見は格好の「武器」になるということです。
3.はある種の理工系出身者に見られる理系至上主義です。
こういう人は人文・社会科学の専門家や専門的知見を
軽視や蔑視していることが多いです。
これら「水増し部分」の人たちが、どうやってにせ科学批判と
ネトウヨとが結びつけられる原因を作るかですが、
1.は自身が右翼だったりネトウヨだったりから言わずもがなです。
2.は本来右翼思想やネトウヨとは無関係です。
それでも良識の欠けたネットイナゴと同じような人たちなので、
ネトウヨ思想と親和性がよいことが指摘されています。
いずれご自身もネトウヨと化しても、ふしぎはないのでしょう。
(2)と(3)は、本来的にはウヨ思想とは関係がない。
しかし(2)はそもそもモラルを欠いている層で、
ネットイナゴといわれる集団に近い。
そういう人が、ネトウヨ思想に親和性を持つのはまあ時間の問題である。
3.も理工系出身者のうちでも右翼的な人ほど、
理系至上主義に走る傾向があることを指摘しています。
(3)は正直因果関係を断定しづらいのだが、
確かに自分の観測範囲では重なる人が多い。
理系でもウヨ色の薄い人は理系絶対主義みたいなところには
陥らない、みたいな雑な印象がある。
「因果関係を断定しづらい」と言っていますが、
理系至上主義も社会心理学でいう権威主義の一種でしょうから、
あからさまな右翼的メンタリティだと思います。
因果はちゃんとあると思います。
ニセ科学批判とネトウヨが結び付けられるようになったことについて(3)あたりは、社会心理学のタームでの権威主義者であって、もろネトウヨのパーソナリティと親和的。ニセ科学批判に群がっていたのは最初から(自然と格闘した経験が薄いと思しい)半端な理系という印象しかありませぬ
2017/07/28 01:09
このようにして「水増し部分」は、「右翼・ネトウヨや
冷笑系ばっかり」という事態におちいることになります。
かくして「にせ科学批判は右翼・ネトウヨや冷笑系がやること」
という印象を周囲に与えることになります。
本来は関係のない「ウヨ」と「ニセ科学批判」がセットで
観測されるということが大量発生する
さらに記事では「水増し部分」は思想やイデオロギーだけでなく、
人間性にも問題がある人たちが多いという、
見過ごすことのできない指摘があります。
これがますます良識的な人たちを、にせ科学批判から
遠ざける原因を作ることになるということです。
これらの人が、放射能デマ批判、
さらにはより広いニセ科学批判に群がったわけだ。
どれもこれもあまり近づきたくないタイプである。
しかも、(2)(3)は人間性として最悪の、
できればブロックしておきたいタイプだ。
どこをどういじっても、ニセ科学批判がいい印象を持たれる展開がない。
もとからのにせ科学批判層は、彼らの自己規定どおり
党派性やイデオロギー色は薄く、右翼やネトウヨといった
政治思想や政治的偏向とは、ほとんど無縁と考えていいでしょう。
それでも、もとからのにせ科学批判層の中には、
3.11原発事故以降、「水増し部分」に接近したり、
自身が「水増し部分」の人たちに似通ってきたかたも
いるだろうと思います。
「水増し部分」はあきらかにイデオロギー色があります。
ところが彼らが、にせ科学批判者の自己規定である
「にせ科学批判に党派やイデオロギーはない」というお題目を、
自身の党派性やイデオロギーを否認するのに
使ってくることがあるとやっかいです。
とくにネトウヨは「ふつうの日本人」を自称したがります。
そんな彼らに取って「にせ科学批判に党派やイデオロギーはない」
というお題目は、自身の偏向をごまかす
格好の「殺し文句」になるということです。
ふたこと目に「にせ科学批判に党派やイデオロギーが
あると思っているのは、そう思っているほうに
党派やイデオロギー的偏向があるからだ」と言うことで、
偏向しているのは自分なのに、相手に転嫁することもできて、
さらに都合がいいことになります。