にせ科学批判とネトウヨが結びつけられることになった
原因について考察した匿名記事です。
「ニセ科学批判とネトウヨが結び付けられるようになったことについて」
にせ科学批判の人たちが、なぜ右派やネトウヨに接近していったのか、
あるいは自身が右派やネトウヨのようになったのか、
その過程についても記事では詳しく書いています。
にせ科学批判の人たちがいまのように右傾化する発端は、
反対論者から嫌な思いをさせられたことでしょう。
具体的には3.11原発事故以降の、原子力や放射線関係で
「とんでも」な人たちから、誹謗されたことです。
自分たちはつまらない理由でネトウヨ扱いされた、
だからネトウヨを名乗ってトンチキなことを言い募ってやる!
と言わんばかりの連中である。
いまどき子供でももう少ししつけられていると思うのだが、
そんないい大人がネットにはたくさんいる。
被害者意識をこじらせているとしかいいようがない。
誹謗されたのは理不尽だし災難と言わざるをえないけれど、
それがご自分が右傾化したり、右派やネトウヨに
接近していい理由にはならないでしょう。
それこそ「敵の敵は味方」という党派的な行動原理だと思います。
やっかいなことに、そうしたにせ科学批判の人たちは、
「自分はネトウヨの真似をしているだけで、
本当のネトウヨではない」と開き直っていたり、
「自分をネトウヨ呼ばわりしたのが悪い」と
「人のせい」にして自己正当化をはかったりするようです。
本人はネトウヨ認定したほうが悪いと思い込んでいるのかもしれないが、
申し訳ないが狂人の真似だと言い張って東大路通を走る人間は
京大生でなければ狂人である。京大生でも狂人かもしれない。
次にツイッターのリツイートやフォロー機能によって
交流する人が選ばれ人間関係が濃縮されることが指摘されます。
ツイッターをよく使うかたには、ある程度常識的でしょうが、
記事ではこの過程についても詳しく言及していあります。
にせ科学批判の人たちも、自分に関心のある
にせ科学批判の情報のツイートをリツイートするのですが、
問題はそのツイート主が「札付き」である場合です。
残念なことに3.11以降、にせ科学批判に集まる人は、
匿名記事が指摘する「水増し部分」の人たちが多かったのでした。
彼ら「水増し部分」の人たちは、8月7日エントリで
触れたように思想・イデオロギー的にも人間性の観点からも
あまり関わりたくないタイプが多いです。
にせ科学批判の情報を集めようとすれば、
こうした「水増し部分」の人たちの情報にも接することになります。
場合によっては必要となることもあるでしょう。
「札付き」の人に警戒する人は、「札付き」の人のツイートには
内容が賛同できるときでも、近づきたくないでしょう。
そんなツイートをリツイートする人にも当然警戒します。
これがもとで離れる人と近づく人がわかれてきて、
人間関係が濃縮されていくことになります。
これを長く繰り返し続けていくとどうなるか。
「お前はそういうやつなのか」で離れる人というのは
離れられる側にとっても、分かりやすいし素直だ。
だが、「お前のRTうぜえわ」で離れる人も出てくる。
それが繰り返されるうちに、クラスタ自体が、
濃縮されてだんだん汚染されていく。
そして、やり取りをする相手というのは、本人も気づかないうちに
影響を与えていく。フィードバックされちゃうのだ。
ツイッターという媒体は、こうした特徴があるので、
党派性を作りやすいということです。
ニセ科学批判とネトウヨが結び付けられるようになったことについてRTは党派性を強化するのにとても有効なツールだよね(明確な賛意を隠しつつもふわっとした共感で結びついたクラスタと、共感できずに反発をおぼえるクラスタとをじわじわと、のちに劃然と分断する)
2017/07/27 10:02
ネットだし全世界に公開されているから
開放的だろうと思いがちですが、実は多分に同じような
思想やカチカンの人たちで固まるということです。
「開かれているようで閉じている」のがネットです。
人間関係が濃縮してくると、交流している人たちの影響を
無意識のうちに受けるのは、言わずもがなです。
にせ科学批判の人のまわりが右派やネトウヨであれば、
にせ科学批判の人ご自身も右傾化することになります。
「その人を知りたければ、だれと付き合っているかを見ればいい」です。
このことばは「自分の資質に合わせて交流する相手を選ぶ」
という意味もあると思いますが、それだけでなく
「交流する相手によって自分の資質が変化する」
ということもあるのだろうと思います。
「札付き」を警戒するかたが、「札付き」のツイートに
内容に賛同できても近づかない、というのはもっともです。
理由はもちろん「そんな人のツイートなど見たくない」からです。
かかる素性の悪い人と関わったら、自分がどんな不利益や
危害をこうむるかわからないという、実害も出てくるでしょう。
また「あんな人と仲がいい、信用している」と思われれば、
自分の信用に関わることにもなります。
素性の悪い人がネトウヨなど思想的に問題があれば、
リツイートによって一定の評価と拡散をしたことになり、
発言力や影響力を与えるという、政治的問題も出てきます。
それを避けるために、「札付き」のツイートに
近づかないことは、政治的にも妥当な戦略です。
にせ科学批判の人たちは、「だれが言ったかではなく
なにを言ったかで判断する」という原則に必要以上に
杓子定規になって、人間関係的もしくは政治的に
危険なレベルになっても頓着しないところがあると思います。
それゆえネトウヨや「札付き」のツイートであっても、
「内容は正しいことを言っているのだから」と言って、
リツイートや評価をすることにためらいがないのではないかと思います。
問題はまわりはそう思ってくれないということです。
上述の理由で「札付き」や「札付き」を信用する人に警戒します。
その放流元が「札付き」であった場合、
それを「ニセ科学批判に賛同してくれた」という文脈だけで
読んでくれる人は、あんまりいない。
ごくふつうのアカウントなら、はいはい賛同者だね、ということになる。
ところがそうじゃない場合は問題だ。
そりゃあ、ツイート単体ではいいことを言ってるように
見えたりするかもしれない。でもそれを、みんな属人的に
見ないでくれるだろうな、というのはおめでたい。
だが、「お前のRTうぜえわ」で離れる人も出てくる。
離れられた側は、もしかしたらなんだか事故にあったつもりになるかもしれない。
自分はただ「賛同できるツイートを流しただけなのに」、と。
ところがたいていのにせ科学批判の人は、
「議論はなにを言ったかだけが大事であり、
だれが言ったかを問題にするのはおかしい」と言って、
「そう思ってくれないまわり」の問題にして、
みずからをかえりみないのが相場です。
「そう思ってくれないまわり」がどんどん離れて、
人間関係が濃縮してくると、上述のように「フィードバック」が起きて、
自分が交流している人の影響を受けることになり、
くだんのにせ科学批判の人の右傾化が進むことになります。
ここまできても、たいていのにせ科学批判の人は、
「属人的議論を一切排しているのだから偏向はない」という
自負がやたら強いので、自分が偏向していることに
気がつかないのかもしれないです。
「自称中立は必ず偏向する」の一例だと思います。