いうことを何度も繰り返し言います。
これについても、お話しておこうと思います。
「エントリには取り上げるけどお前は投稿お断りな」
たまごどんの言いぶんによれば、「言論の自由」を盾に取れば、
いかなる荒らしや差別発言、攻撃的態度も
正当化できると言いたいようにも見えます。
ヒラリーさんに限らずたんぽぽさんにも私にも、
表現の自由が日本国憲法で保証されています。
ヒラリーさんは自分の意見を表現する権利がある。
(36. たまごどん 2017年06月29日 23:04)
たんぽぽさんは自由に発言できる権利を持っています。
同様に、ヒラリーさんも自由に発言できる権利を持っています。
そしてたんぽぽさんには、ヒラリーさんに反論する権利があります。
これが民主主義であり、言論の自由です。
(44. たまごどん 2017年07月03日 22:19)
たんぽぽさんはヒラリーさんを自分のブログから
締め出すことで、ブログの質を保つことができました。
ヒラリーさんは私のブログにやってきて、愚痴を書き込みました。
彼にも発言する権利があります。
(75. たまごどん 2017年07月20日 00:46)
以下の理由で、たまごどんの「言論の自由」論は賛同できないです。
1.
「ヒラリー」のコメントは「言論」とは言えないです。
「粘着」「嫌がらせ」「荒らし」「対話にならない態度」
「セクハラ」「差別」「攻撃的態度」と呼べるものです。
これらを禁止するということは「嫌がらせ」や「粘着」、
「差別」や「攻撃的態度」を禁止するということであり、
「言論の自由」や「発言の権利」を禁止したとは言わないです。
2.
「ヒラリー」がわたしに反論したいなら、
自分でブログやタンブラーを作るとか、
はてなブックマークやツイッターを利用する方法があります。
「ヒラリー」が言論の自由を行使したいなら、
ほかにいくらでも手段があるということです。
こうした「対案」は、わたしはすでに提示しています。
「批判を受ける覚悟がない?(2)」
そんなにわたしにものもうしたいなら、「ヒラリー」は自分で
ブログなりタンブラーなりを作ればいいのだと思います。
1行程度でよければ、はてなブックマークがあります。
ツイッターならほかのユーザとの交流もできるでしょう。
きょうびネットで発信するサービスにことかかないのに、
ブログのコメント欄で投稿お断りになったくらいで、
なにを言論の自由が損なわれたと騒ぐのかと思います。
わたしが運営しているブログで発言して、
わたしに直接対処させないと意味がないというなら、
「ヒラリー」がしたいことは「言論」ではなく、
わたしへの「粘着」だろうと思います。
「粘着の自由」はないので、認めるわけにいかないです。
3.
「ヒラリー」のコメントは攻撃的で対話にならないので、
相手をさせられることで、わたしのブログの
管理や運営にも負担がかかることになり、
ブログ発信に支障をきたすことにもなります。
「ヒラリー」にコメントをさせることで、
わたしの言論の自由が損なわれるということです。
わたし、たんぽぽにも言論の自由があるので、
それを守るために、「ヒラリー」のコメント投稿を
お断りする必要があることになります。
「粘着質な人を投稿お断りにした経緯の記録」
「ヒラリー」の荒らしコメントは、わたしのブログの
ほかのコメント投稿者からも、クレームが来ています。
「ヒラリー」の荒らしは、ほかのかたたちの
フラストレーションのもとにもなっています。
よって「ヒラリー」のコメントを容認すると、
ほかのかたたちが安心して、わたしのブログに
コメントできないことになり、ほかのコメント欄参加者の
言論の自由が損なわれることになります。
4.
権利や自由の行使は、一般に他者に危害を加えたり、
他者の尊厳を損なったりしないことが当然の前提です。
他者への攻撃をともなうことを
「権利」や「自由」で正当化はできないということです。
他者への攻撃を「権利」や「自由」で認めたら、
攻撃を受ける人たちの権利や自由が侵害されます。
他者を攻撃できる強い力を持ったものだけが
権利と自由を謳歌でき、弱者は権利や自由を持つことができず、
「力押し」が当然の世界になります。
万人が安心して暮らせるために、すべての人が等しく
行使できることを目的とした「権利」や「自由」のはずなのに、
「力押し」になっては本末転倒です。
「言論の自由」や「発言の権利」で認められる表現は、
他者に危害を加えないことが前提となります。
「ヒラリー」のコメントは、わたしに危害を加えるものです。
よってこれらを「言論の自由」や「発言の権利」で
認めることは、「お門違い」というものです。