はてなの匿名記事の続きを見ていきます。
「ニセ科学批判とネトウヨが結び付けられるようになったことについて」
今回は「にせ科学批判クラスタは、歴史修正主義批判をしない」
という、よく言われる言説を見てみたいと思います。
匿名記事はこれについても、状況を考察しています。
「にせ科学批判クラスタは、歴史修正主義批判をしない」と
言われたときの、にせ科学批判クラスタの反応は
1. そんなことないよと反論する。
(具体例を挙げることもある。)
2. 実際にそうだと同意する。
(自分も歴史修正主義批判に関わっていないことに言及することもある。)
のどちらかになります。
2.の場合、考えられるケースはふたつあって、
a. 歴史修正主義は自分には知識がないので、
わからないことで不用意なことは言わないという
知的に誠実かつ慎重になっている。
b. 人文・社会科学を軽視や蔑視、
もしくは敵意を抱いているので忌避している。
(「歴史修正主義批判は左翼のテーマだから」
という理由で、蔑視や敵視をしていることもある。)
本当にa.の理由で歴史修正主義批判に関心がない
にせ科学批判のかたも少なくないと思います。
にせ科学批判のかたは理工系の出身者が多いし、
彼らががち人文科学の歴史研究について議論するのは、
かなりハードルが高いことだと思うからです。
問題はb.が理由という人たちも多そうだということです。
とくに「水増し部分」の(3)のカテゴリは理系至上主義ですから、
人文・社会科学を軽視や蔑視をしていることもあります。
そんな彼らは歴史修正主義批判に関心がないどころか
あなどっている人も少なくなさそうです。
よく、ニセ科学批判クラスタはこれらの
ニセ社会科学・ニセ人文科学の問題には無関心だと言われる。
発信する側については実際には必ずしもそうではない
アカウントも多いのだが、群がっている層については確かに無関心……
どころか敵意を持っている人が少なくない。
理系人が多いので馴染みが薄いし慎重な態度でいる…… というのは
なくはないのだろうが、どうもそれだけで済まないところがある。
歴史問題や法律あたりに目をつけて観察していると、
「馴染みが薄いからかかわらない」ではなく嬉々として
トンデモさんを引っ張ってきて何かつぶやいている、
という光景を目にして頭を抱えることになる。
やっかいなのは、本当はb.の理由なのに
「自分はa.の理由で歴史修正主義批判をしない」と言う場合です。
彼らが歴史修正主義を信じていることがわかる意見を、
はっきり表明しれくれれば、お話は早いです。
歴史問題についてはなにも言わないことも多いです。
「言っていないこと」は検証のしようがないです。
よってb.なのにa.だと詐称しても、それを証明することが
むずかしいので、詐称はかなり効果的になります。
こうした場合、実はb.だと証明するには
状況証拠を集めるよりないことになります。
ほかの歴史問題や法律問題に関して、おかしなことを
言っていないかが手がかりになりそうです。
歴史修正主義批判に関心があるのは、
リベラルや左派・左翼であることが多いです。
かくして放射線関係のデマなど、理工系のにせ科学批判はミギ、
歴史修正主義批判など人文系はヒダリと、
イデオロギーできっちり棲みわけられることになります。
歴史修正主義批判に関心のある人たちは、
それを一市民としての良心や責務だと思っていることも多いです。
自分たちにとって大切であるという度合いが
それだけ高いということです。
やっかいなのはそれが高じて、歴史修正主義批判に熱心な
自分たちに対する自負心が突出することです。
「歴史修正主義に批判的かどうかが、
その人が頼むに値するかどうかの判断基準だ」という発言は
代表的ですが、このような選民意識、中心主義に
おちいっているかたもざらにいたりします。
「歴史認識で恃むに値する?」
「歴史修正主義批判の中心主義」
わたしはこのブログで慰安婦問題を取り上げないと
何度か表明したことがあって、実際取り上げる機会が少ないです。
なぜ取り上げないかというと、かかる自負心の突出した人たちから
遠ざかりたいこともあるからです。
「慰安婦問題を書かない」
わたしでさえ距離を開けたいと思うくらいですから、
理工系の多いにせ科学批判の人たちや、
右派やネトウヨに親和性の高い人が多い
「水増し部分」の人たちがどう思うかは、推して知るべしです。
かくしてにせ科学批判クラスタと、歴史修正主義批判クラスタは、
おたがいに自分たちが大切だと思っていることに
批判的だったり敵対的だったりすることになります。
このような先鋭化の過程で、本来なら近しいところにいるはずの、
歴史修正主義批判や、反知性主義批判(本来の意味も、
日本で独自に派生した意味もどっちも含まれる)との
溝が深まっていくことになる。
めんどくさいことに、これらの集団は原発や
巨大科学のようなものには批判的で、甚だしい場合は放射能デマに
一定の親和性がある人もいたりするので、頭が痛い。
左派の中に原子力や脱原発派のとんでもに
親和的な人がいるから近づきたくないという
にせ科学批判のかたもいるだろうと思います。
でもそれは「おたがいさま」ですよ。
原子力や脱原発関係のとんでもを批判する
にせ科学批判のかたの中に、歴史修正主義を
信奉するかたもいるからです。
こうしてみると、歴史修正主義批判と理工系のにせ科学批判の
両方に一定以上の寄与ができるかたは、
いかに希少価値かということが、わかってくるというものです。
学問的内容に異質な両方に精通するために、幅広い知識や教養が
必要になるだけでも、じゅうぶんハードです。
これに加えて、左右のイデオロギーの壁を超えて
自由に自分の立場を置くことが要求されることになります。
そしてにせ科学批判クラスタと、歴史修正主義批判クラスタという、
対立する両方の人間関係を意識し、
そのはざまを巧みにかいくぐる必要があります。
おそらくこれがいちばんむずかしいと思います。