2017年09月02日

toujyouka016.jpg Aを批判してBを批判しない

8月20日エントリの続き。
にせ科学批判とネトウヨの関係についてのはてなの匿名記事です。

「ニセ科学批判とネトウヨが結び付けられるようになったことについて」

「にせ科学批判クラスタは歴史修正主義を批判しない」を
より一般化した「Aを批判するのにBを批判しないのはなぜだ」
という「疑問」について見てみることにします。

 
「Aを批判しているのにBを批判しないのはなぜか」は
ほっといてくれというのは分からないでもない。
ただ、それは本当にたまたまのこともあれば、
党派性を後ろに秘めてみて見ぬふりをする場合もあるので、
けっこう一概には言いにくい論点である。
状況証拠次第によっては、判断材料として持ちたくなる疑問であるのは確かだ。

「Aを批判するのにBを批判しないのはなぜだ」なんて、
いちいち言われる筋合いはないというのは、
いちおうごもっともなことです。

自分がなにに興味を持つかはそれこそ自由であり、
他人に「これに興味を持つのはおかしい」とか、
「あれに興味を持たなければならない」とか
指図されるいわれはないからです。


「Aを批判するのにBを批判しないのはなぜだ」と
言われたときの、にせ科学批判クラスタの反応は、

1. それはすでに批判している。
(自分ではなくほかのだれかが批判している、
という意味のこともある。)

2. 実際にだれも批判していない。

のふたつのケースがあると思います。

1.のケースであることは実際にめずらしくないし、
「Bを批判しないのはなぜだ」なんて「疑問」を持つほうの、
不見識であることも多々あります。


2.の場合、さらにふたつのケースがあって、

a. 知識がない、時間や興味がない、情報が入らなかった
などの理由で「たまたま」批判していない。

b. 党派性が背後にあるので、
自分の党派に都合の悪い批判を避けている。

のふたつが考えられます。

やっかいなのは本当はb.の理由なのに、
「自分はa.の理由でBを批判しない」と言う場合です。
Bを批判すると都合が悪くなるような党派性がわかる意見を、
はっきり表明してくれれば、お話は早いです。

Bについてはなにも言わないことも多いです。
「言っていないこと」は検証のしようがないです。
よってb.なのにa.だと詐称しても、それを証明することが
むずかしいので、詐称はかなり効果的になります。

b.であることの証明は状況証拠を集めるより
ほかにないことになるでしょう。
手掛かりになりそうな言動があるかどうかになります。


b.の理由で批判対象を選んでいる場合は、
それを批判する余地が出てくることになります。
ましてやb.なのにa.だと詐称する場合は、
党派性がありながらうそをついて隠しているということなので、
なおさら批判する必要があることになります。

この可能性が考えられる以上「状況証拠しだいで
持ちたくなる疑問」であるというのはごもっともですし、
積極的に問題視する場合もあることだと思います。


「Aを批判するのにBを批判しないのはなぜだ?」と
言われたときの、にせ科学批判クラスタの反応には、
上述のほかに「そんなことを言うなら自分で批判すればいい」
と言うものがあります。

「Aを批判するのにBを批判しないのはなぜだ?」と訊く人が、
にせ科学批判クラスタの党派性を疑っていて、
Bの批判の必要を実際に感じているからではないときは、
そう言い返されても、あまり意味がないことになります。


「Aを批判してBを批判しないのはなぜだ」という「疑問」は、
実は左派やリベラルがさんざん言われていることです。

また、別にこういう「疑問」はニセ科学批判クラスタだけが受けるものではなく、
左派がいちゃもんのように昔から言い立てられてきたことでもあるので、
やはり状況しだいでこう問いたくなるのも当然だろう。

フェミニズムに対してもよく言われる「疑問」です。
「反フェミ」やら「弱者男性」やらが
「フェミはあれを批判してこれを批判しないのはなぜだ」と
絡んでくるのは「定番」だと思います。

「Aを批判してBを批判しないのはなぜだ」という
「疑問」を投げるほうは、本気でその「疑問」を解消したいというより、
ふだんから自分たちに不愉快な批判をしている
フェミニズムに難癖をつけたいため、ということが多いです。


リベラル、左派やフェミニズムや反差別活動に
このような難癖をつけるのは、たいていミギ寄りの人たちです。
そしてにせ科学批判クラスタの「水増し部分」の
大多数を占めるのもミギ寄りの人たちです。

ふだん他者に対して「Aを批判してBを批判しないのはなぜだ」と
問い詰めているなら、「それなら自分たちはなんでも
公平に批判しているはずだな?」ということになって、
逆に「Aを批判してBを批判しないのはなぜだ」と他者から
問い詰められても無理もないことだと言えます。

posted by たんぽぽ at 22:40 | Comment(0) | 疑似科学(にせ科学) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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