「首相「北の脅威への対応と少子化、最大の争点」」
首相は「北朝鮮の脅威と少子化にどう立ち向かうかが
最大の争点になる。日本の未来を決める選挙だ」と強調した。
(北朝鮮の脅威と少子高齢化を同列に扱うの?という
疑問もあるだろうと思いますが。)
少子高齢化という家族やジェンダーに関する問題を
選挙の争点にした政党は、これまでになかったと思います。
家族・ジェンダー問題なんて「オンナコドモ」のことは、
政治の世界ではいつもすみに追いやられるからです。
よってこれは大きなことであり、注意が必要だと思います。
安倍首相が述べている、少子高齢化が経済成長の
「最大の壁」という認識はごもっともです。
首相はアベノミクスについて「約5年間で雇用は185万人増加した。
企業は過去最高レベルの収益を上げている」と成果を強調する一方、
アベノミクスを加速させる上で少子高齢化が
「最大の壁」になっていると指摘した。
2012年4月に発表された「21世紀政策研究所」という
経団連のシンクタンクの予測によると、
どのような条件を仮定しても、日本の経済は2030年代から
GDP成長率はマイナスになります。
「2050年に日本は先進国から脱落するという予測についてのエントリ」
他国と比較しても、日本は世界の経済成長から
取り残されることは歴然としています。
ひとりあたりのGDPは、日本は他国と同様に上昇を続けるので、
とくに取り残されることはないです。
つまり総人口が減るのでひとりあたりGDPが増えても、
総GDPが減るということです。
社会保障制度を高齢者中心から「全世代型」にする
というのも、政策として妥当です。
「少子高齢化を乗り越えていく」ため、
2019年10月の消費税率10%への引き上げに伴う
増収分の使途を変更し、高齢者中心の社会保障制度を
「全世代型」に転換する方針を示した。
一般に公的支出が家族・教育向けより高齢者向けに
偏って多いと、出生率が低くなる傾向があります。
日本の公的支出はかなり高齢者偏重であり、
実際に出生率が低くなっています。
「福祉のバランス 子どもに冷たい日本の福祉」
社会保障制度を「全世代型」に転換というのが
具体的にどんなことかはわからないです。
家族・子どもや教育への公的支出を増やすなら、
それは出生率の上昇をもたらすことになるでしょう。
立憲民主党や野党連合は、安倍政権が少子化問題を
選挙の争点にしてきた以上、これにじゅうぶん対抗する
必要があるのではないかと、わたしは思います。
家族・ジェンダー問題は立憲民主党や野党連合のほうが
蓄積もあるし、政策的にも優れています。
それを「安倍政権のほうが少子化対策に対して
現実的かつ力を入れている」と思われて、
評価や支持を持って行かれると、ダメージが大きいからです。
少子高齢化が経済成長の「最大の壁」になったのは、
女性が子どもを産み育てにくい環境を放置したからです。
それはほかでもない「伝統的家族」と称して、
因習・反動的な家族観を維持し続け、
効果的な家族政策に反対してきたからであり、
その最大の原因は安倍晋三を含めた自民党にあります。
「顧みられない家族政策」
「2050年に先進国から脱落?(4)」
日本は少子化が進むと80年代から予測されていて、自民党はそれを放置し続けただけでなく、伝統的家族主義のような悪化する要因を振りまいたのだから、自民党の過去の政策を検証して反省点をしっかりとあぶりださないと、日本政治が今後も予測されている問題に向き合うことはないのではと。
— kazukazu88 (@kazukazu881) 2015年6月22日
教育に対する公的支出が少ないのも、
「自助の精神が大事」と称して、とくに高等教育への
公的支出を削って家庭に負担させてきたこと、
とくに高い大学授業料と貧しい奨学金を放置してきた
自民党に最大の原因があります。
「教育の機会不平等・原因と結果」
こうした厳然たる事実を棚に上げて、
「少子高齢化が最大の壁」とか「全世代型の社会保障」
などと言うのは、盗人たけだけしいとも言えます。
これらを問題にするということが考えられるでしょう。
自民党内には首相の方針をよそに、あいかわらず
「伝統的家族」や「自助の精神」が好きな議員はたくさんいます。
こうした政権の現状を突いて、公約の実現可能性を
問題にすることも考えられると思います。
安倍首相の「少子化問題」に対するアプローチでは、
「経済のために女性を利用している」という、
批判や不信が拭い去れないです。
もともとが因習的な家族観を信奉している安倍なのですから、
なおさらそう思われてとうぜんでしょう。
「行動の主体と政策の対象」
立憲民主党や野党連合はここで、
女性は「政策の対象」ではなく「行動の主体」であること、
そして政策は女性を「行動の主体」と考えて
打ち出す必要があることをしめす手があるし、
またしめす必要があることだと思います。