「希望」を与えてくれたという記事です。
(希望を与えたのは「希望の党」ではなかった。)
「衆院選で立憲民主党が与えてくれた7つの「希望」」
より詳細に7つの項目を挙げています。
ここでは2.の「支持政党を言えるようになった」を
見てみたいと思います。
希望2)支持政党を堂々と言えるようになった
日本の一般的な有権者が、自分の支持政党を堂々と言うことは、
いままであまりなかったことだと思います。
たいていのかたは自分の支持政党を聞かれても、
政治にあまり縁のないかたはなおさらですが、
ふだんから政治的な話題をさかんにしている人であっても、
「支持政党はない」と答えることが多いでしょう。
今後の政治への影響が最も大きいのは左派支持層リベラル支持層が堂々と支持政党名を言えるようになったこと。民主党や民進党とは言えなかった人たちがはっきりと「立憲民主党」と言えるようになった。獲得議席数なんかかすむくらいこれは各方面へ影響を及ぼす重要な変化。#リベラル #立憲民主党
— 勇気無用 (@mm_todo) 2017年10月23日
リベラルや左派の人たちで、民進党や民主党を
支持していると言う人は、あまり多くなかったと思います。
(支持者に対して「あんな政党を支持しているなんて」、
みたいな感じはあったと思います。)
なぜ立憲民主党になって「支持している」と
言えるようになったのか、わたしにもよくわからないです。
リベラルや左派の人たちにとっては、
民進党、民主党は右派議員や保守議員もいるので、
自分たちが支持していると思いたくもないし、
支持者と思われたくもなかった、ということかもしれないです。
立憲民主党はリベラル・左派の政党であることが
はっきりしているので、「自分の政策や理念を代弁している」と
思えるようになった、ということかもしれないです。
ふだん政治と縁がなく、無党派層と言われるであろう人たちも、
「立憲民主党を応援している」「立憲民主党に投票する」と
はっきり言うかたが出てきたのでした。
これは、まさにその通りで、筆者の周りでも、
普段市民活動や政治に縁遠いような友人たちが
「立憲民主党に入れる」と公言していた。
SNSでも、「立憲民主党を応援している」と書いている友人を多数目にした。
「政治や支持政党のことは口に出さない」という
風潮のある日本社会の中で、これは画期的なことだろう。
これは記事にもあるように「画期的」だと言えます。
「日常的な場面」で政治のことを話題にすることを
極度に忌避することが日本社会だからです。
「日常的な場面」では選挙のことが会話になっても、
「投票には行こうね」と言うのが精一杯だと思います。
「各党の政策の違い」なんて立ち入った話題はもう無理でしょう。
それくらい政治の話題は「タブー」にされると思います。
「争点にならない女性政策」
「なぜ弱者は連帯できないか(2)」
一方、子育ての当事者たちは、政治論議をしたがらない。保護者仲間のフェイスブックでも、教育や保育に関する意見は、よほど気を使わないと書けない。もちろん会っても話題にならない。ましてや各党の政策の違いの話などタブー中のタブー。「投票だけは行こうね」と書いてイイネをするのがやっとだ。
— ラビニア (@IsSheW) 2014年12月5日
「「立憲民主党に入れる」と公言していた」人たちや、
「SNSでも、「立憲民主党を応援している」と書いている友人」も、
これまでは「各党の政策の違いの話などタブー中のタブー」
だったのではないかと思います。
今後は子育ての当事者といった「ふつうの人」も
積極的に政治の話題をするようになり、それによって彼らの意見も
政治が反映するようになるかもしれないです。
なぜこれまで政治の話題を忌避してきた人たちが、
立憲民主党のことは気にすることなく、
支持や投票を公言できるのか、わたしにもわからないです。
非政治的な人たちに忌避感を持たせない「なにか」が
立憲民主党にはあるのだろうとは思います。
「下からの民主主義」「草の根からの民主主義」を
立憲民主党はスローガンにしてきました。
これらは「口先」だけのお題目ではなく、
内実のともなったものであることはたしかだと言えます。
「自民支持の若者票をどう取り込む?
立憲民主党・枝野代表を直撃!「まったく考えていません」」
枝野 ひとつは、立ち位置や主張をクリアにできたこと。
もうひとつは、「国民から遠いところにある政治はダメだ。
草の根からの民主主義を」と訴えてきた我々の姿勢。
このふたつが合わさって、期待を寄せられたのだと思っています。