2017年12月18日

toujyouka016.jpg 夫婦別姓・外国を参照する意味

12月15日エントリの続き。

選択的夫婦別姓の導入に関して、外国の事例を参照する
ことの意味について、考えてみたいと思います。

「選択的夫婦別姓への反論へ(その3)」

「『外国は別姓も同姓も自由に選べるから
日本も見習うべき』というのは、一般道路の交差点と
鉄道の踏切を同一視するようなものだと思う。」

 
現代の日本で選択的夫婦別姓を導入したい理由は、
「現代の日本で生活する人にとって必要だから」です。
自分を含めた日本社会の成員のためということです。
この点に関しては外国の事情や都合は関係ないです。

なぜ外国の事例を参照するのかというと、
ひとつは日本と類似の事情で選択的夫婦別姓を
導入した外国の事例は、日本の場合にも参考になるからです。
これから日本でやろうとしていることを、
すでに行なっている他国がいれば、それを研究することは、
日本で導入する際の労力の節約になります。

日本で選択的夫婦別姓の導入が必要な理由は、
女性が改姓して夫婦同姓になることが圧倒的多数の状況で、
アイデンティティの喪失や職業上の不利益、
各種名義の変更手続きの負担といったことが、
改姓する女性にとって顕著になって来たからです。

「なぜ選択別姓(非改姓婚)が必要なのか?」

これはすでに選択的夫婦別姓を導入している
欧米の民主主義国とほぼ同様の事情です。
よってこれらの国ぐにの状況を参照することは、
日本で導入する際にも意味があることになります。


もうひとつ、他国の事情を調べる意義として、
夫婦同姓が強制されさらにほとんどのケースにおいて
女性が改姓するという日本の現状は
国際的に見てどうなのかという、自国の客観視があると思います。
「他国を知ることは自国を知ること」です。

世界中のほとんどの国で選択的夫婦別姓が
認められている現状を理解することで、
日本人のとくに女性だけ結婚改姓で苦労することが
国際的に見てどれだけ理不尽かを
はっきりさせることができることになります。

「世界の夫婦別姓」
「夫婦別姓・国連の勧告の記事(2)」
「世界の夫婦別姓・2010年代の動向」

夫婦の姓を巡る各国の状況

夫婦同姓が強制されているのは、
世界中でほぼ日本でだけであることをご存知なくて、
「中国や韓国にローカルな制度」とか
「夫婦同姓は日本の古来からの伝統」などと
思っていたりする人は、いまだに後を絶たないです。

結婚と苗字の問題について、いまだにこのような認識を
持っている人たちは、まさに他国を知らないから
自国を知ることができない人たち、ということになるでしょう。




もうひとつ外国の事例を参照する理由として、
人権侵害をなくすという国際社会のコンセンサスを守る義務が
国際社会の一員としてある、ということがあると思います。

この地球上から人権侵害をなくし、
世界全体の人権水準を向上させるべく努めるのは、
現在の国際社会において、すべての国の成員が
守らなければならない責務となっています。

そのために国際連合やさまざまな国際機関が存在し、
自由権規約、社会権規約や、女子差別撤廃条約、
子どもの権利条約といった、人権に関係する各種条約を制定し、
条約を守って人権水準を向上させるよう、
批准国に義務付けるようになっています。

「CEDAW日本審査・民法改正」
「CEDAW日本審査・民法改正(2)」

他国がすでに改善している人権問題を
日本だけ放置していれば、日本は国際社会のコンセンサスに
反して義務を履行していないことになります。
この観点からも国際社会の人権水準をつねに
意識する必要があり、そのためには他国の事情を
把握する必要があることになります。

https://twitter.com/n2470haka/status/580356390822092800

民法規定についての国連人権機関からの勧告


選択的夫婦別姓の導入について、外国の事例を引き合いに
出されたとき、反対派がよく言い出すのは
「外国の真似をするな」という論点の矮小化です。

日本人が選択的夫婦別姓の導入を要求するのは、
アイデンティティや職業上の都合など、
自分たちの目前の生活の不便を改善するためです。
それだけ差し迫っているから強く主張するということです。

どんなことでも外国の真似をしたいだけで、
これだけ強く主張する人はおそらくいないでしょう。
問題をすり替えないでほしいものです。


もうひとつ反対派にありがちな反応が
「日本のことを悪く言いたいだけだ」というものです。

このような意見に対してはじめに言いたいことは、
日本のことをよく思ってほしいなら、
「よい政治を行なう」「よい社会を築く」ことです。
悪い政治しかしてない、悪い社会しか築いていないのに、
よく思ってもらおうというのは、
独善的で虫がよすぎるというものです。

だれだって自分につらくあたるものに対して、
愛着など持てるはずもないでしょう。
なぜ日本国内で人権侵害されている人たちに対して、
「自分につらくあたるものを愛せよ」
などという要求をするのかと思います。


こういう人は「スウェーデン・バッシング」
代表されるように、ふたこと目には選択的夫婦別姓を
導入している国として例示されている国を、
やたらこき下ろすことがあります。
そのこき下ろす内容は、夫婦別姓となんら関係ないことを
唐突に持ち出すことも多いです。

「夫婦別姓とスウェーデン叩き」

選択的夫婦別姓の導入を問題にしているのですから、
ぜんぜん関係ないことを持ち出して
「その国はこんなに悪い国だ」とアジテーションされても、
問題の解決にならず、まったくの無意味だし興味もないです。
(ここには他国を「こんなに悪い国だ」と
アジることの問題もありますが、それは置いておきます)

こちらは夫婦別姓が選択できないことによる
目前の不都合をどう解決するかを問題にしています。
人権問題を考えているということです。
「日本と他国とでどちらがよいか」なんてナショナリズムの
問題を取りざたしているのではないです。

くだんの反対派は、どうしてもナショナリズムでしか
問題を考えられないというなら、それでもいいでしょう。
それでも「世の中には自分と異なる他人がいる」
ことくらいは理解されたいものです。

posted by たんぽぽ at 23:56 | Comment(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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