述べている記事があるので、見てみたいと思います。
日付を見ると2016年2月なので、女子差別撤廃委員会の
日本審査が発表されるより少し前の記事です。
わたしは最近見たのですが、最近の記事ではないです。
「小籔千豊 夫婦別姓賛成派の意見に「なるほど!」と思えない」
小籔千豊氏に言わせると、選択的夫婦別姓の賛成派の
意見になるほどと思えるものがないのだそうです。
それでも別姓賛成の人の意見を聞いて「なるほど!」と
思える理由に出合えてないです。逆に「ん?」って思うものがあります。
そんなことを言うなら、選択的夫婦別姓の反対派の意見こそ
「なるほど」と思えるものはぜんぜんないです。
実際、デマや妄想、にせ科学だらけの「とんでも」で、
「ん?」と思うどころではないナンセンスぶりです。
年末に「民法の夫婦同姓の規定は合憲」との判決があって、
「同姓か別姓か」で色々言われていますね。
「「同姓か別姓か」で色々言われて」いるのではないです。
同姓強制か夫婦別姓も選択でいるようにするかです。
同姓と別姓の共存か、別姓とは非共存かです。
つまり言われているのは「強制か選択か」「共存か非共存か」です。
たとえば「昔は名字がなかったから、
一つの名字・家名にこだわらんでええやん。
そんな歴史の浅い制度を後生大事にせんでも」とか言われますけど、
これはおそらく反対派が「夫婦同姓は日本の伝統」
などと言うので、それに反証するために、
日本の夫婦同姓は歴史が浅いし伝統ではないことを
指摘することを指していると思います。
小籔千豊氏自身、「夫婦同姓は日本では何億年も
続いていた」なんて、人類も存在しないころからの
伝統だったという、おかしなことを言っていました。
このような大馬鹿者が反対派にはいるから、
苗字の歴史を調べることになるということです。
「夫婦同姓は何億年も続く伝統?」
選択的夫婦別姓の実現を求める人たちは、
「現在社会で生活する自分たちに必要だから」です。
過去がどうあろうとほとんど関係ないです。
歴史の話が出てくることが気に入らないなら、
反対派は「日本の伝統」なんて言わないことです。
素朴な疑問というか、一番名字に固執しているのは、
その人たちじゃないの? こだわっていないなら、
今までの流れでええんちゃうかなとか思うんですよ。
自分の名前ですからこだわるのは当然です。
自分にとってのアイデンティティであり、
他者が自分を認識する識別子だからです。
なぜ選択的夫婦別姓を望む人たちは、自分の名前に
こだわってないと、小籔千豊氏は思ったのかと思います。
「先進国で夫婦同姓は日本だけ」……知らんて。
何でもかんでも外国のマネする必要はあります?
選択的夫婦別姓の実現を求める人たちは、
「現在社会で生活する自分たちに必要だから」です。
この点に関しては外国のことは関係ないです。
単に外国のまねをしたいだけなら、
裁判を起こしてでも実現しようといったレベルで
強く要求する人はないでしょう。
別姓賛成派は外国のまねをしたいだけというのは
反対派にありがちな矮小化だと思います。
なんのために外国の現状を参照するかは、
12月18日エントリでお話しています。
「夫婦別姓・外国を参照する意味」
1. 日本と同じ事情で選択的夫婦別姓を
すでに導入した国を調査することが、
日本で選択的夫婦別姓を実現する際に役に立つ
2. 夫婦同姓が強制されほとんどのケースで
女性が改姓するという日本の現状は
国際的に見てどうなのかを把握するという、
日本の状況を客観視するため。
「他国を知ることは自国を知ること」です。
3. 人権侵害をなくし、全世界の人権水準を
向上させるという国際的コンセンサスのために、
諸外国の状況がどうなっているかを、
つねに把握する必要があるから。
こうして見ると、小籔千豊氏は選択的夫婦別姓の
推進派の主張を正しく理解していないことがわかります。
反対派らしい曲解をしているとも言えるかもしれないです。
賛成派の主張に「なるほど!」と思えない、
などと言う前に、小籔千豊氏は賛成派の主張を
正しく理解することから始める必要があるでしょう。