青野慶久氏による夫婦別姓訴訟についての記事の中にある、
次の指摘を見てみたいと思います。
選択的夫婦別姓の議論は、夫婦同姓を希望する自分が
否定されているようだ、という意見です。
「結婚で姓を変えるのは96%女性って変じゃない?
サイボウズ青野社長が「選択的夫婦別姓」を目指す超シンプルな理由」
一方で同姓を望む女性からは「別姓の議論は自分を
否定されている気がして居心地が悪い」という声が届くことも。
これについてのお答えは、導入しようとする制度は
「選択的夫婦別姓」であるということです。
夫婦同姓を選びたい人は、民法改正したあとも
従来と同じように選択できるということです。
よって夫婦同姓がいいというかたは、
夫婦別姓を選択する人のことをいちいち気にせず、
夫婦同姓を選択すればいいことになります。
だがポイントは“選択的”夫婦別姓であることだ。
「『同姓を希望する人は同姓を選択すべき』というのがポイントです。
姓なんてくじ引きみたいなものじゃないですか。
もっとかっこいい姓がよかったと思うなら、
結婚を機に変えたらいいと思うんですよ」
「別姓を押し付ける気はない」と青野さんは続ける。
ほとんどの選択的夫婦別姓の推進派は、
夫婦別姓と夫婦同姓とでどちらがいいか、
なんてカチカン論争には興味がないと思います。
(どちらがいいかなんて、人によるという認識でしょう。)
そもそも推進派は、制度について議論したいわけです。
個人のカチカン論争に議論が転化するのは、
問題の本質から離れるので非生産的だし、
無駄に感情的しこりが生じる原因にもなるので、
極力避けたいと思っていると思います。
またほとんどの推進派は、夫婦同姓がいいというかたに、
夫婦別姓を選ぶことを要求することもないです。
(夫婦同姓を希望する人に「お前も夫婦別姓にしろ」と言う
推進派を、わたしは見たことないです。)
このあたりが「教科書的」な回答だろうと思います。
選択的夫婦別姓の推進派のほとんどは、
おそらくこのようなことを答えると思います。
最初の「自分が否定されているようだ」という
気持ちになる夫婦同姓を希望するかたは、
ここでお話したような「理屈」を聞いただけで、
その気持ちが解消するかどうかはわからないです。
感情ベースでしょうから、理屈を聞いただけでは
すぐに納得できないことも多いと思います。
(それでも理屈をお話することは無駄ではないと思います。)
それは他人がどうこうできることではないので、
ある程度は自分で努力してもらうよりないと思います。
ここからはあまりほかの人が言わないこと。
最初の「自分が否定されているようだ」というかたは、
夫婦同姓を選択することにどうしても
ネガティブな感情が出てくるのなら、
いっそのこと夫婦別姓を選択するのも一案だと思います。
選択的夫婦別姓が実現したあとは、
夫婦別姓を選択する権利は万人に開かれます。
これまでに選択的夫婦別姓に反対していた「実績」が
いくらあっても、それを理由に夫婦別姓を
選択できないことはないです。
「お前も夫婦別姓にしろ」とは言わないですが、
「お前は夫婦別姓にするな」とも言わないということです。
「止めも勧めもしない」ということです。
「否定」に関して言うなら、夫婦同姓の強制派こそ、
夫婦別姓の希望者を、こんにちまでさんざん否定してきた
揺るぎない現実があることを指摘したいです。
現行民法が夫婦別姓の選択を認めないという
あからさまに制度の上で「否定」される事実があります。
現在にいたるまで、国会や司法によって
選択的夫婦別姓法案の可決が阻止され続けたことも、
夫婦別姓の希望者を明確に「否定」しています。
まがりなりにも事実婚や通称使用が
市民権を得たとはいえ、これらは夫婦同姓の法律婚と
比べると権利が限定的になります。
また通称使用を認めず、戸籍の苗字を要求する職場や
資格、身分証明のたぐいは、まだまだ多いです。
これらも夫婦別姓が「否定」されていると言えます。
個人レベルでも、「夫婦別姓はわがまま」とか
「子どものことを考えていない」といった
いわれのない中傷を始め、「日本の伝統に反する」とか
「国家崩壊の陰謀」とか、社会の危険分子
呼ばわりをされることさえあります。
夫婦別姓の実践や希望をしているかたは、
日常的にこのような「否定」にさらされているわけです。
「夫婦別姓の議論は、夫婦同姓を希望する自分を
否定している気がする」とお考えのかたは、
夫婦同姓の強制派こそ、夫婦別姓を否定してきた
膨大な蓄積(「気がする」どころではない、
隠しようのない厳然たる「事実」)があることを、
思いを巡らせていただけたらと思います。