青野慶久氏の最近のエントリです。
「選択的夫婦別姓への反論、ありのままに」
(はてなブックマーク)
ここで次のことが指摘されています。
それは、
「選択的夫婦別姓に反対する人の理屈にあきれて賛成する」
人が多いということ。
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)の理屈は
少し聞けば、理不尽で不合理だということが、
人の意見を聞く耳を持った人ならすぐに納得する
ということだと思います。
補助ブログの12月12日エントリでも
このあたりを指摘しましたが、反対派の主張を見て
賛成するかたが出てくるということは、
ある程度以上、一般性のあることのようです。
「反対派の実態を見て賛成する人」
私、通称使用できているし、自分は別姓にしないかなーと以前は思ってました。
— ユキチ /2y8m♂6m胎 (@110_yukichi) 2017年12月9日
が、強制同姓派の言い分があまりに論理性と合理性を欠き見苦しいので、自分も別姓にした方が合理的でいいなと思うようになりました。
選択的夫婦別姓の実現を求める側にとって、
反対派(非共存派)対策としてもっとも効果的なのは、
「反対派の主張がいかにおかしなものか」を
第三者に対してはっきりわかるようにする、
ということになると思います。
具体的には、選択的夫婦別姓に反対する主張を
展開する反対派を見つけたら、これに反論したり、
議論を仕掛けることがてっとり早いと思います。
それによって反対派のかかるとちくるった主張を
目立つところに引っ張り出すことになります。
議論を仕掛けられたくだんの反対派は
圧迫されることで、さらに馬鹿げた主張や
見苦しい主張を展開する可能性も出てくるでしょう。
「反対派批判の意義」
不幸にして、絶対に意見を変えないであろう反対論者と、
議論するはめになったときですが、その場合でも、
おそらくは、ひたすら議論をしかけるのが、最善だろうと思います。
その理由のひとつは、反対派の実態を第三者に見せることで、
彼らがいかにとち狂った人たちかを、知らしめることができるからです。
議論を仕掛けられた反対派本人は、これによって態度を
前より硬直させる可能性があります。
それは気にしなくていいと思います。
議論を仕掛けられなくても、反対派が自分の考えを
改める可能性はもともとごく低いからです。
どうせ考え直して賛成に回ることがないのですから、
反対で硬直しても、あまり変わりないと言えます。
態度が硬直するほど「はじめに結論ありき」になるので、
くるった理屈に頼るようになり、さらに見苦しさを
露呈する可能性が高くなることも期待できます。
反対派は議論を仕掛けられた本人以外増えないですが、
一連の議論を見て賛成に回る第三者が
一定の数出てくることが期待できるので、
推進派としてはまずますの成果ということになります。