なぜ選択的夫婦別姓に反対するのかについて触れたツイートです。
彼らは選択的夫婦別姓のもたらすジェンダー平等意識が、
皇室や天皇制に波及して、女性天皇や女系天皇の
容認につながることを警戒しているらしいです。
『日本会議』(集英社新書)でも書いたが、安倍首相や日本会議系人士がなぜあれほど「夫婦別姓」を拒絶するかについては、日本会議事務総長の椛島有三氏が内輪の機関誌で理由を告白している。夫婦別姓で男女同価値、男女同権を認めることで、女性天皇や女系天皇の容認論に繋がるのがこわいのだという。 pic.twitter.com/aABGDPavZx
— 山崎 雅弘 (@mas__yamazaki) 2018年1月12日
つまり、天皇の男系維持に固執し、それを絶対的なドグマ(教義)と見なす日本会議系の安倍政権が続く限り、この国では本質的な意味での「男女平等」や「男女同権」は実現しない。それゆえ、男女平等と一見似てはいるが実は無関係な「男女共同参画」や「女性の活躍」などのまやかしの言葉を盛んに使う。 pic.twitter.com/laZ1OntTYj
— 山崎 雅弘 (@mas__yamazaki) 2018年1月12日
著作のスクリーンショットでピンクになっているところと、
その周辺の部分を引用しておきます。
「なんだこの異様なまでの被害妄想は」というのが、
わたしが最初に思ったことです。
「別姓」国家になっても良いという風潮が生まれてくるならば、
象徴天皇の制度においては「男系」に限らず
「女系」も容認するという国民の価値意識や
それに添った制度が出てくることも、重要な条件として
忘れてはならないと言ってるのも同然なのであります。
これは、「男系」も「女性」も同じ価値になった瞬間に、
天皇・皇室の「万世一系」の皇統が崩壊の危機に
直面することを意味しています。
「別姓」を「同姓」と対等・の価値であると認めた時、
家の先祖との一体感、「◯◯家の先祖の墓」というのは
相対化され、いずれ消えてなくなって行きます。
夫婦の「同姓」と「別姓」が対等・同等の価値であることを
認めることは必ず、「男系」「女系」も対等同等の
価値であることを認めざるを得なくなってしまうのです。
この時、日本はもはや日本国家でなくなってしまうのであります。
天皇・皇室は「万世一系」であり、皇統連綿の一系の
「男系」によって百二十五代の天皇様は「男系」によって
「万世一系」であり続けてこられたわけであります。
天皇・皇室は「万世一系」「男系」でなければならない。
日本は夫婦別姓法案によって「別姓」国家になっても
良いと認めることは、必ずや「男系」も「女系」も
対等の価値であるということを認めることに
繋がってくると私は思っております。
女性天皇や女系天皇を認められるようにしたいから、
選択的夫婦別姓の実現を求める人なんているのかと思います。
わたしはそんな人を見たことはないです。
選択的夫婦別姓の実現を求める人は、
仕事上の都合やアイデンティティの維持、
改正にともなう手続きの負担をなくすためなど、
結婚しても苗字を変えずにすむようにしたいという、
「自分の生活のため」です。
選択的夫婦別姓に関心があるかたは、
必ずしも天皇制や皇室には関心がないと思います。
(わたしもたいして興味がないです。)
そんなことより自分の生活のほうが大事でしょう。
彼ら日本会議に言わせると「選択的夫婦別姓を求める人が
直接女性天皇、女系天皇を求めるのでない。
選択的夫婦別姓の実現によって、国民世論の中に
女性天皇、女系天皇を求める論調ができる
可能性があることだ」ということかもしれないです。
選択的夫婦別姓の実現に影響されて、女性天皇や女系天皇を
求める人たちが活発になるなんて、あるのかと思います。
ジェンダー平等を主張する政策は、ほかにいくらでもあります。
選択的夫婦別姓だけがとくに影響力が強いとも思えないです。
その前に、女性天皇や女系天皇を求めるための
活動をしている人が、どれだけいるのかと思います。
(そういう市民団体のたぐいを聞かないと思います。)
その程度にジェンダー平等意識があるなら、
天皇制の存在そのものに否定的だろうと思います。
女性天皇や女系天皇を求める世論が高まるとしたら、
日本会議のような右翼が、選択的夫婦別姓の実現に呼応して
「女性天皇や女系天皇に反対」と騒いだ場合だと思います。
選択的夫婦別姓の実現と結び付けられることで、
天皇制に対する世論の関心が高まる可能性はあるでしょう。
日本会議は、現在の同姓強制はジェンダー差別であること、
そして皇室もジェンダー差別があり、それを維持したいから、
選択的夫婦別姓というジェンダー平等に
反対するということを、表明したことになります。
「男女どちらの苗字でも選べるから、
現行民法はジェンダー平等だ」というのは、
選択的夫婦別姓の反対派の定番の主張です。
日本会議は現行民法をジェンダー平等だとは、
思っていないということです。
「現行法は男女どちらの姓も選べるから平等?」
「事実婚や通称使用でじゅうぶんだ」というのも、
選択的夫婦別姓の反対派の定番の主張です。
日本会議は現状では「夫婦同姓」と「夫婦別姓」は
「対等」でないとも言っているので、
夫婦別姓は権利が限定的にしか認められない
ふじゅうぶんな存在と考えていると言えそうです。
「選択的夫婦別姓のまとめ(9)」
「通称使用はじゅうぶんでない」
日本会議は選択的夫婦別姓の反対派の主張のうち
「現行民法は男女平等」「旧姓使用でじゅうぶん」という
ふたつを否定していることになります。
日本会議が選択的夫婦別姓の導入反対に
血道をあげる理由も、わかってきたと思います。
彼らにとって命の次に(命以上に?)大事な
「万世一系」の天皇制の維持がかかっている
(と思っている)からということです。
「日本会議・別姓反対小史」
「日本会議・別姓反対小史(2)」
「日本会議・別姓反対小史(3)」
選択的夫婦別姓なんて女性天皇や女系天皇とは
あきらかになんの関係もないことです。
日本会議という右翼の不可解な被害妄想のせいで、
選択的夫婦別姓の実現を求める人は、
とんだ深刻なとばっちりを受けたことになります。
付記1:
推進派は通常「選択的夫婦別姓法案」と
「選択的」という語を入れて表記することが多いです。
この日本会議の文章もそうですが、
反対派は「夫婦別姓法案」とだけ書くことが多く、
「選択的」という語を入れることはほとんどないです。
彼ら反対派も、選択制だと反対するのが難しい
ということをわかっているものと思います。
それで選択制であることがはっきりしないようにするために、
選択的という語を入れないのでしょう。
世論一般の中には、導入する制度が選択制でなく、
全員が夫婦別姓となると思っている人も
まだまだいるので、選択制であることに触れない
日本会議の記述は一定の効果はあるものと思います。
付記2:
日本会議の文章に何度か出てくる
「「別姓」国家」というのはなんなのかと思います。
夫婦別姓を選択できる国ということなら、
世界中のほとんどの国が「「別姓」国家」です。
夫婦別姓が原則もしくは多数派の国だというのなら、
日本で選択的夫婦別姓が認められても
「「別姓」国家」にはならないと思います。
「「別姓」国家」なんて言いかたをされると
選択的夫婦別姓が認められることには、
なにか国家イデオロギーでもあるかのようです。
選択的夫婦別姓が認められることを
イデオロギーにしている国なんて、おそらくないと思います。
日本で選択的夫婦別姓の実現を求めている人も、
自分の生活のためであってイデオロギーのためでないです。
また選択的夫婦別姓に、そんな国家イデオロギーが
あるとも思っていないでしょう。
ひとつはっきり言えそうなのは、
日本会議のような反対派は「皇室の万世一系を
維持するため」というイデオロギーのために
選択的夫婦別姓に反対しているということです。
イデオロギーでしかこの問題を考えられない
彼らにとっては、「「別姓」国家」などというものが
実体を持っているように見えるのではないかと思います。