選択的夫婦別姓のことが取り上げられました。
「通常国会論戦本格化へ 今年の政治を占う」
賛成、反対の双方の意見を紹介するのですが、
自民党議員の西田昌司が反対派の意見を述べています。
ここに特筆することがあるので、見てみたいと思います。
▼「選択的夫婦別姓」制度 議論の行方
夫婦別姓を選べる法制度がないのは憲法違反だとして、
大手IT会社の社長らが国を提訴した。
法律婚した男性による夫婦別姓を求めた異例の裁判の行方は?
賛成・反対派双方の意見を紹介しながら、
改めて選択的夫婦別姓制度をめぐる議論のポイントを考える。
ゲスト:棚村政行(早稲田大学教授)
番組はサイボウズの青野慶久氏が起こした夫婦別姓訴訟を
意識して世論を喚起するためということです。
「夫婦別姓訴訟・青野慶久が提訴」
「夫婦別姓訴訟・青野慶久らが提訴」
西田昌司に言わせると「個人の自由より社会の方が
優先されるのは当然」だから、選択的夫婦別姓を
認めるべきでないということになります。
#週刊報道LIFE
— Tad (@CybershotTad) 2018年1月29日
別姓を選べるなら選んでもよい、ということでもダメなのか。
西田議員「個人の自由より社会の方が優先されるのは当然」
・・・。
それにしても、後ろの愛国心の旗がわざとらしく配置されてて何とも安っぽい。 pic.twitter.com/g3KxdviULM
ここで疑問が3つ出てきます。
1. 「個人より社会優先」は「当然」か?
2. 選択的夫婦別姓を認めることは、個人のために社会を犠牲にしているか?
3. 西田の発言における「社会」は、なにをさしているか?
>1.について。
社会は人間が生活するために作られた、人間の被造物です。
社会が個人の自由のために存在するということです。
目的は個人、手段は社会になります。
社会の維持のために個人の自由を制限するのは、
手段のために目的を犠牲にすることになり本末転倒です。
言ってみれば、創造主である人間に対する反逆です。
>2.について
現行の民法は夫婦同姓を希望する人しか、
法律婚を認めないので「部分の利益」です。
選択的夫婦別姓は夫婦別姓、夫婦同姓のどちらを
希望する人にも法律婚を認めるので「全体の利益」です。
夫婦同姓強制は「全体の利益」よりも「部分の利益」を
優先するので、社会全体を考えていないことになります。
「部分の利益」ではなく「全体の利益」を保証する
選択的夫婦別姓こそ、社会全体のためになっています。
>3.について
西田昌司の発言にある「社会」は、
社会的強者や既得権益者の利益ではないかと思います。
そうだとすれば「個人より社会優先」というのは、
「社会的弱者や被差別マイノリティは、俺たち社会的強者や
既得権益者のために犠牲になれ」ということです。
夫婦別姓の法整備が云々という話で、自民党の議員が「個人の自由より社会の方が優先されるのは当然」とか言ってるらしいが、こういう場合の「社会」って「金持ちや権力者の意向」の言い換えにすぎないよな。つまり「貧乏人に自由なんか与えない、社会を支配している者に従え」という意味。
— 伊藤克則 (@quadproject) 2018年1月29日
「社会」なんてことばを使って、公共性があるかのように
装っているけれど、実態は社会的強者や既得権益者の
独善ということになるでしょう。
「個人より社会が優先」という発想は、
いかにも全体主義の考えかただと思います。
「全体の利益より部分の利益を優先」というのも、
全体主義者にありがちな傾向です。
絵に描いたような全体主義思想だね。
— ブースカちゃん (@booskanoriri) 2018年1月29日
どれだけ個人の自由を剥奪できるかで、社会が成り立っていると思ってるんだろうね。
こういう奴に議席を与えないことが大事だね。
(・ω・) https://t.co/arPw20YGfE
選択的夫婦別姓を認めないことに代表される、
戦後民法で規定された家族のありかたを
国家がみずから金科玉条のように守るということは、
国が家族のあるべき姿を決めて、
それに国民全員を従わせることになります。
このような国家による家族のありかたの管理や統制も、
全体主義国や共産主義国に特徴的です。
西田昌司の思想は全般にわたって、
全体主義的ということなのかもしれないです。
「共産主義国の反同性愛」
「共産主義国の反同性愛(2)」
「道徳・個人の管理と共産主義」