選択的夫婦別姓に反対していることをお話しました。
西田昌司は2015年12月に、夫婦別姓訴訟の
最高裁判決が出たときも、選択的夫婦別姓について
メディアで意見を述べていました。
この記事をわたしはずっと知らなくて、最近見つけました。
これを見てみたいと思います。
「夫婦別姓 こう思う/中 西田昌司・自民党参院議員 家族の絆壊す恐れ」
西田昌司の主張は夫婦別姓の必要性の矮小化と、
「家族のきずな」に対する誇大妄想で満ちています。
ほかで見かけない特筆する意見は以下だと思います。
現代の日本の苗字は江戸時代の屋号に起因するそうです。
−−日本のように夫婦別姓を認めない国は世界で少数派です。
◆江戸時代の屋号に起因する名字制度は
日本の伝統的な生活文化であり、外国と比較して論じるべきではない。
日本人は同姓の家族が一つ屋根の下で暮らしながら
田畑を耕し、海や山を守ってきた。
その一体感は現代の日本人が受け継ぎ、
後世に引き継ぐべき感覚ではないだろうか。
江戸時代の庶民は苗字を名乗れなかったので、
苗字の歴史は明治以前にさかのぼれなくなります。
夫婦同姓を日本の伝統にしたい反対派にとって、
「伝統」を主張しくいということです。
近代以降の苗字は実は屋号と関係あったとすることで、
この問題をクリアしようとしたのでしょう。
明治に入って新政府が国民全員に苗字を
名乗らせることにしたのは、収税や徴兵のために
政府が国民を把握するためということもありますが、
ほかにもそれまでサムライだけが名乗れるという
特権をなくすという目的がありました。
よって近代以降の苗字概念とつながりがあるものを
あえて言うなら、サムライが特権的に
名乗っていた「苗字」のほうだろうと思います。
庶民が名乗っていた「屋号」ではなさそうだ
ということは、わかりそうなものです。
江戸時代に苗字を名乗れなかった庶民は、
一族を示す名前が必要になったので、
「屋号」を名乗ったという側面はあります。
また明治に入って政府から苗字を名乗れと
指示されたとき、屋号から苗字を作った人もいます。
それでも屋号以外から苗字を作った人もたくさんいたのでした。
「屋号」が近代以降の苗字の由来だとすると、
なにより明治以前から苗字を名乗っていた
武家の苗字はどうなるのかが、説明できないと思います。
すでに何度もお話していることですが、
明治に入って近代的な家族制度を作ったとき、
最初は「苗字は出自を表す」が政府の見解でした。
結婚改姓という考えがなく、夫婦別姓が原則と言えます。
「反対派の精神構造と思考構造 夫婦同姓は日本の伝統?」
明治の中ごろから、ヨーロッパの家族法を研究するうちに、
「苗字は家を表す」と考えるようになります。
妻が改姓して夫の苗字を名乗って夫婦同姓、
という民法を定めたのは1898年なので、
明治も後半に入ってだいぶ経ってからです。
「夫婦同姓は明治以降の「伝統」」
「夫婦同姓は民俗学でいう慣習?」
「日本の夫婦同姓の伝統」の起源を明治以前とすると、
明治に入って最初は夫婦別姓が原則だったことと、
日本の夫婦同姓はヨーロッパの家族法の影響を
受けたことが、どうやっても説明できないです。
よって「日本の夫婦同姓は明治以前からの伝統」という
主張を見かけたら「まず信用できない」と考えていいでしょう。