選択的夫婦別姓に関してこんなことも言っています。
選択的夫婦別姓が選択肢を増やすだけというなら、
ミスコンテストや性の商品化、性表現を含むコンテンツも
選択肢を増やすだけではないか、だそうです。
選択的夫婦別姓制度に関して「皆に強制しようというのではなく選択肢を増やすだけだから、反対する意味がわからない」と言っている人たちの多くが、他のことに関しては、選択肢を増やすことに反対しがちなのが面白い。ミスコンだとか、性の商品化とか、性表現を含むコンテンツとか。
— 小倉秀夫 (@Hideo_Ogura) 2018年2月15日
「多様性の尊重」の観点から選択肢を増やしてよいのは、
その選択肢が他者の権利や尊厳を侵害しないときです。
他者の権利や尊厳を侵害する選択肢は認められないです。
「多様性の尊重」とは、多様性に反するカチカン、
多様性から逆行するカチカンを徹底的に否定することです。
他者を侵害する選択肢は、多様性を否定し逆行するので、
「多様性の尊重」の観点からは、否定することになります。
選択的夫婦別姓は、夫婦同姓、夫婦別姓の
いずれも選択できるようにする制度です。
夫婦同姓にしたいかたは、これまでどおり選択できるので、
夫婦別姓という選択肢が増えたところで、
彼ら夫婦同姓にした人たちの権利を侵害することはないです。
よって選択的夫婦別姓は、多様性の尊重の観点から
認めてよいし、また認める必要があることになります。
最初のツイートに並んでいる「他のこと」は、
いずれも男性が女性を性的に搾取するものであり、
女性の権利や尊厳が侵害されるカチカンです。
「多様性の尊重」の観点からは否定されるものであり、
選択肢として認めるわけにいかないことになります。
「ミスコンテスト」は容姿その他が「男性にとって
望ましいかどうか」で、女性を評価します。
「あるべき女性」が男性によって規定され、
女性のありかたが狭められるので、多様性に逆行します。
「性の商品化」は男性によって女性を性的搾取するものだ、
ということは、言うまでもないことだと思います。
「性的コンテンツ」は、女性の主体的な性的表現であれば、
「多様性の尊重」の観点から認められる必要があります。
選択的夫婦別姓制度を求める人が、仮に性表現規制も望んでいるとします。
— 猫アカデミー (@nekoacademy0) 2018年2月15日
その場合、両者を同時に求める心情の根底にあるのが「女性蔑視・性的搾取への反発」なら矛盾しないでしょう。婚姻時に夫婦のどちらの姓を選択しても良いにも関わらず、現実は96%が夫の姓にしている現実を直視したいものです→ https://t.co/d3P320qfg0
このような文脈で出てくる「性的コンテンツ」は、
男性によって女性を性的搾取することを
目的としていることが多いと思います。
(女性の主体的な性的表現には、むしろ反発すると思います。)
それは他者の尊厳を侵害するものであり、
「多様性の尊重」の観点からは認められなくなります。
最初のツイートのロジックの形式は、
「選択的夫婦別姓を認めるなら、あれやこれも
認めないのはおかしい」というものです。
これも「抱き合わせ論」のひとつだと思います。
「選択的夫婦別姓を認めるなら、一夫多妻制も認めろ」
というたぐいの主張と同じようなものです。
「夫婦別姓と一夫多妻の関係」
相手は「選択肢を増やす」につっかかってきてるのですね。
— youleeca (@youleeca) 2018年2月13日
法律改正の多くは選択肢を変動させるものだと思いますが、あらゆる改正に根拠なくいちゃもんつけれる無敵論法の一つです。選択肢を変える法改正がなされてる現実と矛盾します。現に20世紀後半から世界の諸国では別姓選択を法制化しています。
彼らに言わせると、いっしょに認めなければならないらしい
「あれ」や「これ」は、たいてい女性の権利を侵害するとか、
女性を性的に搾取するものだと思います。
「抱き合わせ論」は反フェミやミソジニーが
持ち出すことが多いので、自分の利益で考えるのでしょう。
彼ら反フェミやミソジニーは、選択的夫婦別姓の
実現のような女性の権利を認めると、自分たちがなにか
損をすると思っているのかもしれないです。
マジョリティ、社会的強者にありがちな被害妄想です。
それで「代償」を要求してくるものと思います。
あるいは「相手は女性の権利を主張しているから、
女性を搾取するものを持ち出せば返答に困るだろう」という、
戦略的なことを考えているのかもしれないです。