反対派(非共存派)にはありがちな主張です。
理由までしっかり述べてくれています。
「○○家先祖代々の霊位」と墓石に刻むからだそうです。
それゆえ苗字の異なる人は入れないと思っているのでしょう。
反対派(非共存派)の典型的な認識だと思います。
それは宗派が違うからでしょうか?
— 世直し三郎 (@hinomotoiyasaka) 2018年3月9日
普通は○○家先祖代々の霊位とか書いて裏に名前を記入するように思うのですが。
婚姻改姓が云々?
それが戸籍制度というものです。
わんわんさんは戸籍制度解体が主眼ですか?
差別という言葉を使うのはなぜですか?
親の離婚再婚で苗字が違う親子の差別って・・・
親子の姓が別々なのはよろしくないと考えるからです。
— 世直し三郎 (@hinomotoiyasaka) 2018年3月9日
日本の宗教的な意味でも(お墓等)
自分の息子が「嫁さんが夫婦別姓にしてって言うからするよ」とか言われたらどうしたものかと思います。
息子が相手の家に入るのなら踏ん切りがつきますが・・・
お墓にだれが入ることができるかに関しての、
法律で定められた規則や制限はないです。
お墓の永代使用権者が自由に決めればいいことです。
苗字が異なる人を入れることに、なんら問題ないですし、
夫婦別姓でも同じお墓に入れます。
「反対派の精神構造と思考構造 お墓を守る反対派」
苗字の異なる人が入っているお墓の場合、
墓石に「○○家累代の墓」と刻むこともあります。
「累代」というのはゆかりのあった人という意味です。
お墓の引き継ぎに関しても心配ないです。
通常の財産と同じ扱いなので、苗字に関係なく、
配偶者や子どもが法定相続人になれます。
必要なら遺言状で相続人を決めることもできます。
以下の「教えてGoo」で石材屋さんが、
異なる苗字の人たちが入る墓石をどう手配するか、
工事の方法とかかる費用まで具体的にお話しています。
「名前が違うと同じお墓には入れない?」
この石材屋さんは次のように、ふたつの家のお墓を
ひとつにまとめる「合祀」をすすめているくらいです。
ふたつの苗字のお墓は、むしろ推奨するくらいだということです。
これはお墓がふたつあると、お墓参りの手間が増えて
お墓参りが億劫になる可能性を考えてのことです。
息子さんにA家、B家ふたつのお墓を見ていってもらう
というのはあまり得策ではありません
手間やお茶代(花、線香ロウソク等)も2倍かかります
億劫がられてお参りの回数が減っていくよりは、
合祀(お墓をまとめること)を考えましょう
次のツイートに、ふたつの苗字を刻んでいる
「両家墓」の写真と解説が具体的に出ています。
むかしからあったものですし、最近の少子化の時代に
合っているお墓のスタイルでもあります。
元葬儀屋の私もお邪魔します!
— nana (@nana77rey1) 2018年3月10日
世直し三郎さんは「両家墓」ご存知ですか?
墓石屋さんのサイト曰く「両家墓は昔からよくあり、寺院でも見かけます」「少子化の現代に合ったお墓のスタイル」。
墓に誰を入れる、入れないに法的ルールはありません。基本的には墓の永代使用権者が決めて良いのですよ。 pic.twitter.com/FBDsTTubgY
最初の選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は、
宗派によって異なる苗字を墓石に刻めるかの扱いが
違っているのではないか、とも考えています。
これは仏教会に問い合わせたかたがいらっしゃります。
異なる苗字の人は同じお墓に入れない
宗派なんてないということがわかっています。
本日再度仏教会に問い合わせしたところ、宗派として違う名字の人がお墓に入れない宗派はございませんという回答を頂きました。
— わんわん (@wanwan_nz) 2018年3月13日
「別姓!墓はどーする」の皆様に拡散してくださいませ❗
かくして最初の反対派(非共存派)が提示した、
お墓についての懸念はすべて解消されたことになります。
苗字がふたつの墓石なんて、珍しくないと思います。
わたしもお墓参りに行ったときに、まわりを見たりするのですが、
苗字をふたつ刻んだ墓石は結構見かけます。
少子化で苗字ふたつの墓石が増えてもいるようです。
横から失礼します。
— piroyom (@piroyom) 2018年3月14日
父が亡くなりあちこちの霊園の見学をしていた時、名字2つのお墓をよく見かけました。霊園の方に尋ねたら、少子化の影響でこの様なお墓が多くなっているとの事。
なるほどなぁと思いました。
ふたつの苗字を刻む墓石をご存知ないらしい
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)諸氏は、
お墓参りにはぜんぜん行かないのかと思います。
あるいはお墓参りには行くけれど、そこまでまわりを
注意して見ていないのかもしれないです。
お墓がとても大事なようですが、それならもう少し
お墓のことに詳しくなってほしいものです。
大事なものは詳しくなりたいのが自然な心理でしょう。