恥ずべきことだ」という社会通念があります。
それはいつから始まったかを解説した記事があります。
とてもよい記事だと思います。
「かつて“童貞”とは妻に捧げるものだった――童貞はいつから恥ずかしいものになったの?
社会学者・澁谷知美先生に聞いてみた」
(はてなブックマーク)
「童貞は恥ずべき」という社会通念が広まったのは、
じつはわりあい最近のことで、1970年ごろからです。
高だか半世紀ほどの歴史しかないことになります。
わたしはもっとむかしからと思っていたので、これは意外でした。
ただ大衆的に特に若い人に一気に広がった
というのは、70年代からだと思います。
その時何があったかと言うと、「平凡パンチ」とか
「週刊プレイボーイ」といったような、
青年誌が非常に盛んに読まれた時期なんですよね。
そこではセックス特集が、しばしば組まれていて、
一つの娯楽としてセックスが扱われていたんです。
原因のひとつは自由恋愛が広まったことがあります。
恋愛の相手を見つけて、その相手と性交渉をして
結婚にこぎつけるまで、全部自力でやる必要があります。
これによって「童貞=性交渉の相手を見つけられない男性」の
肩身が狭くなっていくことになります。
自分で恋人も見つけて、性行為まで持ち込んで、
結婚まで全部自分でやりなさいよ、っていうふうになったのが、
だいたい1965年位だと思うんですね。
恋愛結婚とお見合い結婚の数がちょうど入れ替わる時期がその位なんですよ。
自助努力で全部相手も見つけなきゃいけない
となったのは、1965年位かなと思います。
でもそれは恋愛が自由化したからですよね。
いわゆる恋愛というのは、本当に心から好きな人と一緒に、
結婚もしてその人と愛し合って、子供も持つという、
「恋愛・結婚・出産」の三位一体をすべての人間が、
どんなに恋愛の能力がなくとも、全員がおやりなさいというふうになったのが、
やっぱり戦後から1970年代にかけてなんですよ。
そこから童貞の苦悩も始まったのかなと思います。
自由恋愛が広まるとともに、婚前交渉は「してはいけないもの」
という忌避感や抵抗感が薄れたことも大きいです。
性交渉の機会が広がったのにもかかわらず
童貞は経験できないでいる、ということですから、
やはり肩身が狭くなることになります。
それで若い人がレジャー的にセックスを楽しむ風潮があって、
その中で女性の側もセックスを楽しむ空気が出来たわけですよ。
それまでは女性は結婚するまでは
処女じゃないといけないという価値観だったのが、それ以降、
女性も婚前交渉をしていいんだというふうになったわけですね。
そうなると男性側から見ると婚前交渉をする
チャンスが増えるっていうことなんですよ。
自由恋愛が定着するとか、婚前交渉が御法度でなくなる、
ということだけであれば、童貞は「恥ずべきこと」とされることは、
それほどなかったのではないかと、わたしは思っています。
童貞が「恥ずべきこと」とされるもうひとつの要因として、
「性交渉=女性を支配する」という考えであり、
「男子たるもの、一度くらい女を支配しなければ」という
マチズモの規範が存在していることがあります。
これは80年代から変わっていないと思うんですけれども、
「とにかく一度でいいから女をいてこますべきだ」
という規範が男社会にはあるわけですよ。
「それをやったことがないのは半人前の男だ」
ということで、いじられてるんだと思います。
敢えて下品な言い方をします。性的に「ヤる」っていうのは、
「女を支配する」という意味合いが入っているんですよね。
対等な関係でセックスするというよりは、
「女を一度でいいから支配して、イカせる。
そういう経験がない奴は、半人前だ」という考え方が戦前からありました。
自由恋愛が広まり、婚前交渉は御法度でなくなっていきました。
その一方で「男は性交渉によって女を支配してなんぼ」という、
戦前からのジェンダー差別的な考えは残っていました。
戦前からの性についての因襲的な規範からは、
中途半端にか脱却していないということです。
そのはざまで童貞がさげずまれることになったのでしょう。
自由恋愛が広まることや、婚前交渉は御法度という規範が
薄れることは、因襲からの脱却であり、このましいことです。
ふたたび因襲の時代に後退してよいはずはないです。
克服する必要があるのは「男は性交渉によって
女を支配するものだ」というマチズモの規範になります。
そのためには、さらなるジェンダー平等の意識が、
広まっていく必要があることになります。
童貞を「恥ずべきこと」する社会通念を強化する要因として、
1970年ごろは趣味やライフスタイルが、現在と比べると
多様でなかったこともあるのではないかと思います。
1970年代は、恋愛をしなくても熱中できる趣味は、
現在ほどには多彩ではなかったものと思います。
そうなると大多数の人たちの関心ごとは恋愛になります。
そうした状況の中で「性交渉経験のない男性」は、
肩身が狭いものになっていくのだと思います。
「絶食系男子が増えている(2)」
1970年代は、未婚率が2%程度と極端に低いことが
しめすように「国民皆結婚」の時代でした。
結婚しないライフスタイルは、ほとんどありえないということです。
「未婚率が低かった時代」

それでいて結婚相手は自由恋愛で見つける時代です。
最初の記事にも指摘がありますが、お見合い結婚より
恋愛結婚が多くなったのは1960年代の後半です。
ちょうど時代的にも重なることになります。
恋愛によって交際相手を自力で見つけないと、
「人並みの暮らし」ができないということです。
そうなると「相手が見つからない男性」は、
周囲から取り残されることになります。
「第15回出生動向基本調査」

付記:
戦前は、相手の女性に処女をもとめるから、
自分は童貞を守るという男性も結構多かったのでした。
これもわたしには意外でした。
戦前ですと、山本宣治という性科学者がいまして、
その人が学生に対して大規模な調査を行っているんですよ。
その調査の結果を見てみると、童貞の人たちっていうのは、
非常に自分にプライドを持っていて、
「結婚するまでは絶対僕は童貞を守ります」、
「新妻に捧げる贈り物にします」とか、あるいは「処女を得んとすれば
自分も童貞でなければならない」といったような、
童貞に対してとても肯定的な評価を与えているんですね。
「何故あなたは童貞を守っているんですか?」という
アンケートも取っていて、その第1位が「両性の貞操の平等のため」。
つまり相手に処女を求める以上は、自分も童貞でなくちゃ
いけないということを、非常に真剣に信じていました。
戦前は婚前交渉の機会がずっと少なかったので、
未婚のうちに童貞を捨てることが難しかった
ということも、ここにはあるのだろうとは思います。
それでも現在のように童貞は「恥ずべきこと」ではなく、
童貞でいることに対する風当たりも強くなく、
むしろステータスさえあったことはたしかなようです。
現在の男性諸氏で、相手の女性に処女を求めるから、
自分は童貞を守るというかたは、どれだけいるかと思います。
相手の女性には処女を求めるけれど、
自分はすでに経験がたくさんあってもかまわないなどと
考える男性も、結構多いのではないかと思います。