「童貞は恥ずべき」という社会通念が
どうやって出てきたかについての記事では、
童貞ないし弱者男性一般がなぜ苦しむことになるのか、
その抜本的原因についても触れています。
「かつて“童貞”とは妻に捧げるものだった――童貞はいつから恥ずかしいものになったの?
社会学者・澁谷知美先生に聞いてみた」
それは男性が「男らしさ」にとらわれていることです。
童貞問題の場合であれば、その「男らしさ」は、
「男なら性交渉によって女を支配するものだ」という
マチズモのカチカンになります。
今の童貞の人たちが、すごく闘って、非童貞の人たちも
その闘いに賛同するのであれば、童貞への偏見は変わると思います。
つまり童貞差別って結局、男による男差別なんですよね。
そこに乗っかる女性もいますけれども、基本、男対男なんですよ。
結局、男らしさに男の人がとらわれていることが、
諸悪の根源だと思うんですよ。
むしろネット時代にそういうものが拡大してきた気がします。
身近な学生を見ていると女性に専業主婦を望む男子学生は
一旦減ったんですけど、最近また増えてますね。
一般的なケースでも、弱者男性を苦しめる原因の多くは
「男らしさ」にこだわる社会通念であること、
そして弱者男性自身もそれにこだわっているということです。
その「男らしさ」は男社会が作った社会規範であり、
弱者男性問題は男性どうしの格差の問題になります。
このあたりは、むかしから言われていると思います。
取り立てて真新しい知見ではないでしょう。
弱者男性が苦しみから解放されるには、
まず当の弱者男性ご自身が「男らしさ」に対するこだわりから、
脱却する必要があることになります。
童貞問題であれば、脱却する必要があるのは、
「男なら性交渉によって女を支配するものだ」
というマチズモのカチカンになります。
「そのカチカンは間違っている」と社会に訴えるなら、
自分がそのカチカンから決別する必要があるし、
そうでないと説得力も効力もないということです。
弱者男性を苦しめる「男らしさ」の規範は、
多くはジェンダー差別的であり女性を搾取するものです。
童貞問題の場合は「男なら性交渉によって
女を支配するものだ」という社会規範ですから、
やはり女性の搾取を前提としています。
「男らしさ」の規範はジェンダー差別的ということは、
フェミニズムにとっても批判する対象となります。
弱者男性がこのような「男らしさ」の規範を
自分たちが批判する対象とするなら、
フェミニズムとの共闘ができる可能性はあるでしょう。
「男性差別論者の精神構造」
「男性差別は何処?」
男尊女卑と書くといかにも男性全てを優遇し、
女性全てを卑下するように感じますが、これは違います。
男尊女卑が優遇する男性には、条件があります。
それは「男らしい男性」です。
何が男らしさかは社会や時代によるでしょうが、
性別で人を切り分け価値判断する社会である以上、
理想とされる男性像や女性像が存在し、
そこに適合しているかどうかが問われます。
逆に言えば、男尊女卑社会や「男らしさ女らしさ」の
脱構築といったフェミニズム運動が、男性も利するというのは
まさにこういうところなんですがね。
ところが残念ながら、少なくない弱者男性たちの
思考や行動はそうはならないようです。
自分たちも「男らしさ」の規範がもたらす
男性としての既得権に浴したいと考えているようです。
自分が強者男性と同様に、男性としての既得権を
得られないのは女が自分の要求に従わないからだと考え、
女性を「仮想加害者」に仕立てて攻撃することになります。
引き合いに出ているバレンタインデー粉砕デモも、
ミソジニーのきらいがあると指摘されています。
「非もて」の主張も往々にして、「女が自由意志を持つから、
男の思い通りにならず自分の恋愛対象がいなくなる」という
差別的な考えが根底にあると思います。
──バレンタインデー粉砕デモみたいに?
澁谷:
それってちょっと難しくて、カップルを攻撃してるじゃないですか。
ちょっとミソジニー【※】なニオイもするんですよね。
「女なんて!」みたいな。それが入ると、そういう運動は支持を得られないので、
ただのキワモノがやっているっていことになっちゃう。
童貞問題であれば「やらせないお前ら女が悪い」です。
そこへもってきて、はあちゅうのように
童貞に軽蔑的な発言をする女性が出てくると、
「あいつこそ加害者だ」といわんばかりに
わーっと攻撃することになるのでしょう。
弱者男性諸氏は自分たちの首を絞めているはずの
「男らしさ」の規範から脱却しないどころか、
基本的なところで肯定することが多いということです。
「男らしさ」の規範は多くがジェンダー差別的です。
よって弱者男性がそれを求めようとするなら、
フェミニズムは批判することになります。
そうなると弱者男性とフェミニズムとの共闘は不可能になります。
ジェンダー差別的な規範の恩恵を得られない
弱者男性は自分たちを「被害者」と考えています。
それゆえ自分たちを批判するフェミニズムを
「加害者」と考えることになります。
いよいよフェミニズムと弱者男性は対立することになります。
「なぜ「弱者男性」の敵が「フェミニスト」なのか」
「弱者男性のフェミニズム観」
「フェミニズムと弱者男性」