2009年に民主党政権が誕生したとき、
すぐに実現するだろうと思った選択的夫婦別姓が、
結局実現しないまま終わったのはなぜなのか、
その原因について考えていきたいと思います。
民主党の公約の中でこんなのサクっと決まるだろと思ったら実現しなかったものの一つ 「選択的」なのにねえ / “「選択的夫婦別氏法案」を5野党1会派で衆院に提出 - 立憲民主党” https://t.co/rRNHxUiQdw
— キク (@kiq) 2018年6月15日
もうひとつ予想外だったことは、民主党政権のていたらくです。
2010年7月の参院選で、すでに反対派議員の抵抗にあい、
民法改正を政権公約からはずしています。
さらに2011年は、選択的夫婦別姓法案の提出のための
アクションを、ほとんどなにもしなくなっています。
「CEDAWフォローアップ」
4. 2010年7月の参院選では、反対派の合意が得られず、
民主党は民法改正を選挙公約からはずす。
7. 2011年の通常国会では、予定法案にもならなかった。
13. 2011年は、与党内の調整もほとんど行なわれていない。
選択的夫婦別姓ではないですが、類似の課題である
婚外子の相続差別についての違憲判断をするために、
2010年7月に最高裁の大法廷に回付されたのでした。
このとき違憲判決が出る可能性が高いと見て、
民主党政権は民法改正の準備を始めていました。
ところが裁判で和解が成立して却下となると、
あっさり法案提出の準備をやめてしまいました。
「国連女性差別撤廃委員会 御中」
婚外子相続差別規定の違憲性を問う訴訟では、
最高裁が審理を大法廷に回付したことから
95年の合憲判断を見直すのではないかと期待されたが、
当事者間の和解により、2011年3月9日却下された。
婚外子相続差別訴訟の最高裁大法廷回付で、
違憲判断の可能性が出てきたことから、
政府、与党は法改正を視野に入れた議論を行ってきたが、
和解により却下となって以降、これを放置している。
違憲判決が出たらさすがに民法改正の必要があるが、
出ないならどうでもいい、ということなのでしょう。
このころの民主党政権は、民法改正なんてすっかり投げ出した
と言っていい状況になっていたと思います。
2010年7月の参院選の敗北から、
民主党政権は萎縮したのだろうと思います。
そのあと当時の野党の自民党や、マスコミ、官僚、世論、
保守・右翼勢力に叩かれてもほとんど効果的な対処ができず、
「打たれっぱなし」と言っていい状態が続いたことで、
さらに萎縮していったと思います。
「あまりに保身的な〜菅政権のゆゆしき体質」
かくして萎縮していくことで、支持率が下がって
選挙で大敗することを恐れるようになり、
積極的なことができなくなっていったのでしょう。
民法改正、選択的夫婦別姓も積極的になると、
反発を買って選挙に響くとみて、及び腰になったと思われます。
自分が批判するときは威勢がいいけれど、
自分が批判されるとたちまち弱くなるという、
口先だけは立派だけれど、実践的な実行力のないという
だめな左派・リベラルの典型だったのだと思います。
「市民運動出身宰相の限界」
選択的夫婦別姓の推進派には、このようなリベラル系の
推進派議員に見られる「口だけ左翼・リベラル」体質を
どうするかという、かなり深刻な問題があることになります。
これは前述の反対派が紛れ込んだ場合の対策より、
解決が難しいのではないかと思います。
「口だけ」体質の解決は、技術的な対処だけでは
解決することが難しく、選択的夫婦別姓を推進する
議員自身が変わる必要があることだからです。
「口だけ」の人をどかして、実行力のある人をつけるなど、
人材を入れ替えられれば、だいぶ解決はするでしょう。
人材が変わらなければ、このような体質に関わることを
変えるのは容易ではなくなってきます。
現在、立憲民主党に所属している議員も、
多くはかつての民主党に所属していた人たちです。
(入れ替える人材なんて、どこにもいないと思います。
どのように政党が集合離散しても、同じ人が動くだけだからです。)
彼らはどこまで「口だけ」体質から脱却するかに、
さしあたって期待するよりなさそうです。