ということを、わたしはしていないです。
そんなことを議論の方針にもしていないです。
「カンフー(jhansi2018、もも281)」は、
発言の撤回をしていただきたいです。
あなたのツイートで言っていることは、
事実に反することであり「言いがかり」です。
横から失礼します。
— カンフー (@nanaarek20) 2018年6月16日
この方はあなたを挑発して過激な発言を引き出して炎上をねらう方です。議論は無駄です、ブロックまたはスルー推奨です pic.twitter.com/QYceJiltqs
相手を説得するつもりもない議論で、挑発して炎上狙いは明白 pic.twitter.com/BvWpDxrzc0
— カンフー (@nanaarek20) 2018年6月17日
わたしはツイッターでも撤回を求めました。
そうしたら「カンフー(jhansi2018、もも281)」は、
スクリーンショットをツイートに貼り付けて
「説得が議論の目的でないから炎上狙いは明白だ」
などと言ってきました。
スクリーンショットはわたしのブログの、
つぎのエントリだろうと思います。
相手の説得を目的としないなら、なんのために議論するかは、
A.からD.の4つに箇条書きしています。
「差別主義者は放置がよいか?(2)」
A. 議論を見ている第三者に適切な情報を示すこと。
B. 議論によって差別主義者がどんな人か、第三者にわかるようにすること
C. 適切なリテラシーを持つ情報を増やすことで、
歪んだ意見の割合を相対的に引き下げること、
D. 可能ならば差別主義者を批判することで、
差別主義者が自説を展開する自信を削ること
D.以外は第三者を意識していることですし、
D.も差別主義者の説得を目的にしているのではないです。
「議論する=相手の説得が目的」と思われがちですが、
必ずしもそうではないということです。
この中に「相手を挑発して炎上を狙う」はないです。
どこにも書いていないことが、なぜ「明白」なのかと思います。
「カンフー(jhansi2018、もも281)」は、
自分でスクリーンショットまで撮っていることを
読んでも理解できなかった、ということでしょうか?
わたしが少し追求したら、「カンフー(もも281)」は、
「炎上狙いの根拠」として、以下のことを挙げてきました。
1 そもそも議論は説得を目的としてない 2 議論をやりとりを第三者にみせるのが目的 3 多数をツイートツリーにいれたがる 4 過去に貴方に絡んで離れたのは炎上が要因(スクショないがたんぽぽが過去にツイート) よって貴方は炎上狙いで議論をふっかけている見解です。
— カンフー (@nanaarek20) 2018年6月17日
1. 「相手の説得を目的としない=炎上狙い」ではないです。
理由はすでに上述のA.からD.だと述べています。
同じことを言わせないでほしいです。
2. 第三者に見せるなら炎上しないほうがいいです。
閲覧性がよくなるからです。
3. 文章がおかしくて、言いたいことがわかりにくいです。
わたしがいくつものツイートを返信することか、
ツリーを枝分かれさせることだろうと思います。
どちらも炎上とは関係ないです。
4. むかしわたしに絡んで来て、炎上したことが
きっかけで離れた人が何人かいました。
(「同性愛は生物の目的に反する」発言のかたなど。)
おそらくそれを指しているものと思います。
炎上したのは偶然で、わたしが狙ったのではないです。
炎上の原因は絡んだ人の発言に問題があったからです。
絡んだ人の自業自得で、わたしの責任ではないです。
また状況は「たんぽぽに絡みに来た人が、
自分の発言のせいで炎上でたんぽぽから離れた」です。
絡んだ人からわたしに接近していたということです。
わたしから絡んだのではないですから、
「たんぽぽから炎上狙いで絡みに行った」でないのはあきらかです。
見え透いた言いがかりだと思います。
このように反論したら今度は「カンフー(もも281)」は、
「見た人に判断してもらう」などと言って来ました。
何回か追求しましたが、同じことしか言わなくなりました。
「たんぽぽは炎上を狙っている」という自分の見解に
根拠を示せなくなったものと思います。
見た人に判断してもらいましょう。あなたが絡んだ人に注意換気したら正しいか調べるでしょう。
— カンフー (@nanaarek20) 2018年6月18日
撤回はしませんよ。デマかどうかは私が啓蒙しようとした人が判断するでしょう。
— カンフー (@nanaarek20) 2018年6月24日
撤回しません。私は自説を絡まれた方に話すだけです。
— カンフー (@nanaarek20) 2018年6月24日
「見た人に判断してもらう」というのは、
にせ科学の信奉者が自説を展開したとき、
あとに付け加えることがときどきあるフレーズです。
なんらかのかたちで自説を示しておけば、
それを信じてくれる人が現れる可能性が出てきます。
また反証されても「自分はこれが事実だと断言していない。
見て判断した人の責任だ」と言って、
責任を見た人に押し付けることができます。
信者を獲得しつつ、自分は責任逃れもしやすいので、
根拠のない主張をする人にとっては、
「見た人に判断してもらう」ことにするというのは、
まんざらでもない戦略ということです。
「カンフー(もも281)」はこの件に関しては、
「デマを流して、それを信じてくれる人が
出てくることを期待する」という戦略を取るようです。
ほぼ同じころ「うそつき探しを粛々とやる」という
意味のことも言っていましたし、
それが「カンフー(もも281)」のリテラシーと人間性、
ということなのかもしれないです。
「Siccome sei un bugiardo con te non gioco piu.」
「粛々とうそつきを探します」