「「子ども産まない方が幸せ、勝手なこと」自民・二階氏」
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「自民・二階氏 「『産まない幸せ』は勝手」 講演で発言」
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「自民・二階幹事長が発言 産まない方が幸せ「勝手な考え」」
「子どもを産まないほうが幸せとは勝手な考え」と
裁断した自民党の二階俊博幹事長は「敗戦直後に子どもを
産んだら大変だと言った人はいない」と言っていて、
戦後の混乱期に対する認識がとてもナイーブです。
自民党の二階俊博幹事長は二十六日、少子化問題に関し
「戦中、戦後の食うや食わずの時代も、子どもを産んだら
大変だから産まないようにしようと言った人はいない。
「戦後の食うや食わずの時代」に「子どもを産んだら大変だ」と
思っていた人なんて、たくさんいましたよ。
戦中の「産めよ増やせよ」政策である『戦時人口政策』の
影響がまだ残っていてベビーブームでしたから、
なおさら子どもを産むことは負担でした。
敗戦直後は妊娠中絶をする人が多かった時代です。
闇で中絶手術を受けることは危険なので、
1948年に優生保護法を改正して、
妊娠中絶を受けられる条件を緩和したくらいです。
「優生保護法の成立(昭和23年)」
昭和23年7月13日、優生保護法が公布され、
妊娠中絶の条件が緩和された。
当時の優生保護法の目的は中絶によって終戦後の人口増加を
抑制することであり、さらに重要なことは、
危険なヤミ堕胎を減らし妊婦の健康を守ることであった。
『<非婚>のすすめ』(森永卓郎著、講談社現代新書)の24ページに、
そのときの様子がすこし述べられています。
1948年9月から施行された優生保護法が、
条件付きで人工中絶を容認したことがきっかけとなった。
1949年にわずか10万件だった人工中絶は急激に増加し、
ピークを迎えた1955年には117万件と、
その年に実際に生まれた子供の数の68パーセントにも達したのである。
しかもこの中絶件数は公式に届け出があったものだけで、
闇に葬られてしまったものを含めれば、
中絶数は出生数を上回る200万にものぼったとする説もある。
ピークの1955年以降の妊娠中絶の件数と割合は、
次のように推移しています。
現在(2009年)まで件数も割合も、ほぼ単調に減り続けています。
中絶の条件が緩和された1948年からの数年が
もっとも中絶が多い時代だったことがわかります。
「出生数と中絶数をだらだら並べてみたり そしたら少妊娠化がみえてきた」
終戦直後の感覚ね〜。避妊が普及してなくて子が多く生まれたんだよね。しばらくしたら中絶(既婚者の)増加、避妊普及、戦後の10年で出生率は3人台から2人台に激減。貧乏で子だくさんはかなわん、と当時の人も思った。
— kirikomio (@kirikomio) 2014年10月18日
敗戦直後は「子どもを産んだら大変だ」という人だけでなく、
「子どもを育てることは大変だ」という人も多かったです。
敗戦直後は捨て子や孤児が多い時代でした。
捨て子が多いので「捨て子台」なるものを設置して、
子どもを捨てられるようにした病院もありました。
孤児院(児童養護施設)も急激に増え始めました。
「虐待の援助法に関する文献研究 (第1報:1970年代まで)」
1946年の「東京済生会病院 『捨子台』」とあるのは、
終戦直後捨て子が多く、特に産院での捨て子が増えていたため、
「東京、芝の済生会病院では70余人を数え、『やむをえない人はここに捨てよ』と
貼り紙した『捨子台』が作られた(p.136)」という記事である。
児童福祉の視点からこの時期をとらえると、
混乱と生活困窮のなかでのベビーブームの到来による
乳幼児の増加と戦災孤児や浮浪児の急増があげられる。
孤児や浮浪児などを保護する緊急対策として、
一時保護所、児童保護相談所、児童鑑別所などが急速に設置され始める。
「児童保護施設、なかでも育児院や孤児院などが増設され、
その数は敗戦直前の89カ所から1946年には171カ所、
1947年には306カ所まで増加した」
戦争が終わったばかりなので、戦争で親をなくして
孤児になった子どもも多かったです。
戦後の生活困窮の時期にベビーブームとなったので、
親が育てられなくて孤児となる子どももたくさんいました。
1970年ごろの子ども向けアニメは、
『タイガーマスク』『科学忍者隊ガッチャマン』といった、
主人公が孤児という作品がいくつかありました。
これは敗戦直後に孤児が多かったので、
孤児が登場することにそれだけリアリティがあった、
ということでもあるのでしょう。
『愛と暴力の戦後とその後』という本にその指摘があります。
以下のエントリからの孫引きですが、引用しておきます。
「「みなしご」(メモ)」
三つ目は、子供向けアニメなどに見られた「みなしごもの」である。
七〇年代の漫画やアニメには、みなしごが主人公のものが数多くあった。
それのいちばん有名な例は『タイガーマスク』*4だろう。
みなしごが悪のプロレス養成機関に育てられるが
正しいほうへと転向し、稼いだお金を
孤児院に匿名で寄付し続ける、という話だ。
男四人女一人の少年少女からなる科学忍者隊は、
一人を除いてみなしごで、疑似家族のように寄り合って暮らし、
天才科学者南部博士のもとで、地球の平和を守るために
働いて(働かされて?)いる。
敗戦直後は妊娠中絶と孤児がきゅうに増えた時代です。
「戦後の食うや食わずの時代」だったからこそ、
「子どもを産んだら大変だから産まない」
「子どもを育てるのは大変だから育てない」という人が
たくさんいたということです。