「子どもを3人以上産み育ててほしい」などと
言っていることが、少し話題になりました。
5月10日の自分の所属する派閥の会合での発言です。
ちょっと時間が経っていて恐縮ですが、
今回はこれを見てみたいと思います。
「「子供産まねば人様の税金で老人ホーム」自民・加藤寛氏」
(はてなブックマーク)
「「女性蔑視の思いない」 自民・加藤寛治氏が発言撤回」
「自民・加藤氏、「子は3人以上」発言を謝罪=与野党から批判」
加藤氏はこの発言を自身が招かれる結婚披露宴での会話として紹介。
さらに、「必ず新郎新婦に3人以上の子供を
産み育てていただきたいとお願いする。
いくら努力しても子どもに恵まれない方々がおり、
そういう方々のために3人以上が必要だ」と話しているとも説明した。
これを少子化対策として述べたとのことです。
少子高齢化にあせって出生率の回復が必要と思っているけれど、
それを個人に努力させることで解決しようということです。
加藤氏は会合直後、記者団から発言の訂正・撤回の意思について問われ、
「少子化対策は一番の、我が国にとっては大事な問題。
ただ、それだけです」と述べた。
7月1日エントリでお話した二階俊博幹事長の
「子どもを産まない幸せは勝手」発言と
同じような批判が、ここでも当てはまるでしょう。
「子どもを産まない幸せは勝手?」
子どもを何人持つかは、各個人が自由に決めることです。
何人子ども持っても、あるいは持たなくても、
それはその人の生きかたとして尊重されることです。
他人によって「何人以上子どもを持て」と、
決められるといわれはないです。
いくら努力しても子どもを持てない人のために、
子どもを3人以上持てという考えも不可解です。
子どもを持つ持たないは、あくまで本人のためであり、
子どもを持てない他人のためではないです。
不妊症の他人がいても、自分が子どもを持たないのは自由です。
「子どもを持てない人のために子どもを持て」には、
「子どもを持たなくてはならない」という
考えが背景にあるだろうと思います。
そうした考えが蔓延することで、
不妊症の人をかえって追い詰めるのだと思います。
「子どもを3人以上」は少子化対策でもあるというので、
不妊症の人が数で貢献しないので、
子どもを産める人がかわりに多く産んで数合わせしろ、
ということでもあるのでしょう。
社会を維持するために「産めよ増やせよ」です。
それは社会のために個人がいるという考えであり、
社会主義国や全体主義国と同じ発想です。
それはいずれ破綻することは、日本の戦時人口政策や、
ルーマニアのチャウシェスク政権の示すことです。
「「お国のために産め」の末路」
「共産主義・全体主義の人口政策」
個人が生活するために社会や国家があるのが本来です。
個人を社会に奉仕させて「産めよ増やせよ」は、
目的と手段が入れ替わった本末転倒なことです。
少子高齢化対策のために必要だからというので、
子どもを多く産んでほしいなら、たくさんの子どもを
産み育てやすい環境を整備することです。
そしてそれはまさに政治の仕事です。
政治家がするべき仕事をなおざりにして、
子どもを産み育てるのに負担がかかる環境のままで、
「子どもをたくさん持て」と言うのは、
無責任と言わざるをえないです。
「子どもを3人以上産み育てろ」発言ですが、
加藤寛治は自分が招かれる結婚式の披露宴で、
新郎新婦を相手に言っていることだとあります。
記事にある加藤寛治のコメントを見た様子では、
一度や二度ではなく、すでに何度も言っているようです。
いままでよく問題にならなかったという感じです。
わたしが想像するに、招かれている披露宴は、
地元の支持者の結婚式ではないかと思います。
自民党の代議士を支持するくらいだから、
家族やジェンダーに関しても因習・反動的で、
「子どもを3人以上産み育てろ」と言われても、
むしろ賛同する人が多いのかもしれないです。
加藤寛治は「子ども3人」発言をした
その日の夕方に、早ばやと撤回してお詫びをしています。
騒ぎになる前に撤回と謝罪をしろと、
党幹部から意見が出たからのようです。
「騒ぎになる前に撤回、謝罪させるべきだ」(党幹部)
との声も上がり、同日夕、「誤解を与えた事に対し、おわびします。
決して女性を蔑視している訳ではありませんが、
その様にとられてしまう様な発言でありましたので
撤回します」とのコメントを出した。
撤回と謝罪をしないままなら批判が強まって、
騒ぎももっと大きくなったでしょう。
党幹部の判断は妥当だったと思うし、それを聞き入れて
その日のうちに撤回と謝罪をした加藤寛治は、
可能なかぎりうまく立ち回ったと思います。
「子どもを3人以上産み育てろ」と言われた場合、
女性のほうがライフスタイルに制約が大きくかかります。
妊娠や出産をするのが女性であることと、
「子どもは女がみるもの」という社会通念などのためです。
加藤寛治は「決して女性を蔑視している訳では
ありませんが」と言っていますが、このたぐいの発言は、
女性の自由と権利を制限する方向へ向かい、
たいていジェンダー差別になると言えます。
>自民党の加藤寛治衆院議員が、結婚式で新郎新婦に
「子どもを3人以上産み育ててほしい」などと
言っていることが、少し話題になりました。
>7月1日エントリでお話した二階俊博幹事長の
「子どもを産まない幸せは勝手」発言と
同じような批判が、ここでも当てはまるでしょう。
このような発言をした2人に対して思うことがいくつかあります。
まず、自分達の「上司」たる安倍晋三首相には子供がいませんが、それについてはどう思っているのでしょうか?
(私は安倍首相の支持者ではありませんが、子供がいないことについて批判する気はありません)
次に、子供を産んでほしいなら、産みたくない人に圧力をかけるのではなく、保育所や児童福祉の充実、不妊治療の公費負担を拡充すべきではないでしょうか?
(ちなみに、少子化が問題だとこれほど言いながら、一方では、不妊治療をしている夫婦や、生殖医療で産まれた子供への偏見があることをネット上で知り、呆れました)
それから、子供を産め、産まない幸せは勝手だと言いながら、かつての日本では優生保護法により、障害者に対して強制不妊手術が行われてきたことについてはどう思っているのでしょうか?
障害者に対しては「子供を産むな、産む幸せは勝手」なのでしょうか?
こちらにコメントありがとうございます。
>自分達の「上司」たる安倍晋三首相には子供がいませんが、
>それについてはどう思っているのでしょうか?
それはよく言われると思います。
わたしもどう思っているのかと思います。
自分たちの発言は安倍晋三首相を否定することに、
気がついていないのかと思います。
具体的になにかコメントしたお話はないので、
どう考えているのかは、実のところわからないです。
安倍晋三首相は「特別な例外」ということに
しているのかもしれないです。
>産みたくない人に圧力をかけるのではなく、
>保育所や児童福祉の充実、不妊治療の公費負担を拡充すべきではないでしょうか?
それはまったくその通りです。
他国の事例で証明もされていることです。
家族やジェンダーに因習・反動的なかたは、
見識がないのか、このあたりがよくわからないようで、
「女が自由になったから子どもを産まなくなった」
くらいの認識なのだと思います。
あるいはわかってはいるけれど、自分たちが維持したい
因習・反動的な家族・ジェンダー観に反するので、
受け入れたくない、ということかもしれないです。
>かつての日本では優生保護法により、障害者に対して
>強制不妊手術が行われてきたことについてはどう思っているのでしょうか?
わたしが想像するに「それは当然」くらいの
認識ではないかと思います。
障害者でなくても、婚外子や未婚親をさんざん
差別してきた(差別している)人たちです。
「婚姻届けを出して法律婚して、両親が揃っている家族」を
「あるべき家族」と考え、その枠組みを守った状態で、
出生率を回復させるべきと考えているのでしょう。
少子高齢化だろうがなんだろうが、
自分たちが信じている「あるべき家族」に当てはまらない
家族や子どもを受け入れるわけにはいかない、
(彼らを受け入れてまで出生率を回復させる
必要はない)ということだと思います。
障害者に対しても、おそらく同様の考えでしょう。
「障害者の産み育てる権利を認めてまで、
出生率を回復させる必要はない」だと思います。