「被害者落ち度論」を展開しています。
記事の主旨は、BBCの番組での自分の意見の
取り上げられかたが不正確だと、抗議するものです。
「【BBCが放送した伊藤詩織氏のドキュメンタリー「日本の秘められた恥」について(その1)】」
「【BBCが放送した伊藤詩織氏のドキュメンタリー「日本の秘められた恥」について(その2)】」
杉田水脈の「被害者落ち度論」は、次のように表現されています。
「本来の性暴力」と「被害者に落ち度があった事件」との
区分があって、詩織さんの件は後者に入ると言いたいようです。
こんな「線引き」をして、「被害者落ち度論」を
正当化するのですから、セカンドレイプです。
問題に対する認識がおかしいと言わざるをえないです。
私は性犯罪は許せない!無理やり薬を飲まされたり、車に連れ込まれて強姦されるような事件はあってはならないし、犯人の刑罰はもっと重くするべきと考えています。
— 杉田 水脈 (@miosugita) 2018年6月29日
が、伊藤詩織氏の事件が、それらの理不尽な、被害者に全く落ち度がない強姦事件と同列に並べられていることに女性として怒りを感じます https://t.co/JgxR4IcmW5
どのような状況でも性暴力は加害者の責任です。
被害者がどうしていようと、被害者の「落ち度」と問題となって、
加害者が免責され被害者の責任になることはないです。
女性がお酒を飲みすぎて酔いつぶれても、
男性とふたりきりの部屋で服を脱いでも、
男性が女性に性暴力をしてよい理由にはならないということです。
そうした状況でも、男性が女性に対して
性暴力を起こしたら、それは加害男性の責任です。
「落ち度」があった被害女性の責任ではないです。
杉田水脈は「薬を飲まされて意識をなくした
女性を襲ったら性犯罪だが、そうでなく自分で
お酒を飲みすぎて意識をなくした場合は、
被害者女性の落ち度だ」という主旨の主張をしています。
薬に関係なく、男性が女性を性的に襲ったら性暴力です。
自分でお酒を飲みすぎて酔った女性であっても、
男性はその女性をレイプしてよい理由にはならないです。
「本来の性暴力」と「被害者に落ち度があった事件」との
「線引き」はだれがどう引くかという問題があります。
社会通念や社会的立場の強弱といったヒエラルキーで、
恣意的に引かれることが多くなると思います。
被害者が自分の気に入らない人とか、
加害者が自分のかばいたい人だった場合、
それはていよく「被害者に落ち度があった事件」に
分類するのではないかと思います。
そして加害者が自分の気に入らない人のときは、
迷わず「本来の性暴力」に分類し、声を大にして
「性暴力許すまじ」と正論を吐くのでしょう。
反フェミ、ミソジニーを始め、性暴力を軽視し、
男性が性暴力で摘発されることに不満を持つ人であれば、
どのような場合であっても、「被害者に落ち度があった事件」に
分類するのではないかと思います。
杉田水脈の巧妙な(?)ところは、一般的、抽象的な
性暴力に対しては、決して許されないことであり、
刑罰をもっと厳しくするべきだという主旨の、
ごもっともな主張しているところです。
さすがに性暴力自体の軽視はできなかったのでしょう。
それで一般的、抽象的な性暴力には反対し、
「本来の性暴力」と「被害者に落ち度があった事件」との
「線引き」をするという戦略をとったものと思います。
一般的、抽象的な性暴力に反対するのは簡単なことです。
大事なのは、実際に性暴力事件が起きたとき、
これを「被害者に落ち度があった」などとせず、
加害者に責任があると認識できるかどうかだと思います。