2018年09月14日

toujyouka016.jpg モデル・マイノリティ概念の差別性

前のエントリで、たまごどんのブログで
「ヒラリー」が投稿したコメントのあるエントリを、
ツイッター・モーメントにまとめたものを、ご紹介しました。

「たまごどんのブログにおける「ヒラリー」のコメントの記録」

そうした「ヒラリー」のコメントで、とりわけ強烈なものの
ひとつが「叩いてよいタイプの弱者」発言です。
「ヒラリー」が差別主義者であることを、
とてもよく示す発言のひとつだと思います。

「叩いてよいタイプの弱者」

 
「ヒラリー」がたまごどんのブログでの最初の
コメントの中にあったものであり、「本性を現した」という
感じが強く、なおのこと強烈だと思います。

「慰安婦問題の出張所」

19. ヒラリー 2015年11月04日 02:40

私があちらのブログで勉強になったのは
あの方々は多様性なんてものは求めておらず自分達の意見を通せということを、
多様性とかいう言葉に変換しているだけです。

欧米先進国、スウェーデンなど北欧、国連やそれに関連する
組織の引用(都合のよい)が大好きなお子様ですから、
私はそういう方々とは今後の人生で一切妥協せず、
変に顔色をうかがったりせず対応する決心がつきました。
そして想像するより非常に議論に弱く潔癖、貧弱だということも分かりました。

弱者叩きは恥ずかしいことですが、
そのようなタイプの弱者は徹底的に叩いてもよいと気づかせてもらいました。
あちらでは投稿禁止になっておりますので失礼ながらこの場をお借りして。


「ヒラリー」の「叩いてよいタイプの弱者」は、
被差別マイノリティを社会的強者やマジョリティの都合で、
「よいマイノリティ」と「悪いマイノリティ」にわける考えです。

「よいマイノリティ」、つまりマジョリティにとって
都合よく振る舞ってくれるマイノリティのことを、
「モデル・マイノリティ」と言うこともあります。



「モデル・マイノリティ」という考えかたが、
差別的であることは、容易にわかるだろうと思います。
マジョリティの都合でマイノリティを
「よい」と「悪い」にわけることがすでに差別的です。

そこにマジョリティの偏見が入ることになります。
マイノリティに対するステレオタイプを作ることになり、
そのマイノリティの本当の姿が見えにくくなります。

「よい」「悪い」のわけかたは、一般的にはそのときの
マジョリティの都合によるので恣意的です。
多くの場合、「よいマイノリティ」はマジョリティに逆らわず、
マジョリティ優位の社会に有益な貢献をする
マイノリティということになります。

これによってマイノリティの分断を図ることにもなります。
「よいマイノリティ」と「悪いマイノリティ」との
あいだの対立をあおることで、差別の加害者である
マジョリティへの批判を回避させることにもなります。


「モデル・マイノリティ」という考えかたは、
「よいマイノリティ」だけ社会に受け入れられるという
考えに結びつくことにもなります。
マジョリティの都合による「よい」「悪い」に関係なく、
マイノリティも等しく受け入れられるべき存在です。

またマイノリティだけ「よいマイノリティ」になるために、
特別な努力を要求されることにもなります。
マジョリティは「よいマジョリティ」になる
特別な努力を必要とせずに、社会に受け入れられています。


「ヒラリー」はマジョリティである自分に
逆らったという理由で「悪いマイノリティ」と認定し、
「悪い」と認定したものは、マジョリティである
自分の都合で「叩いてよい」と決めたということです。

「叩いてもよいと気づかせてもらいました」とも言っています。
「そうか、あいつらをこうやって差別すればよいのか」と
「ヒラリー」は気づいた、ということなのでしょう。

「ヒラリー」は自分が「悪いマイノリティ」と
決めた人たちとは、「今後の人生で一切妥協せず、
変に顔色をうかがったりせず対応する」と言っています。

「俺はマジョリティさまなのだから、マイノリティ風情に対して
妥協したり、顔色をうかがったりするいわれはない。
マイノリティこそ、マジョリティさまに対して
妥協したり顔色を伺ったりするべきだ。
マジョリティさまに妥協し顔色をうかがうのが、
叩かれない『よいマイノリティ』だ」というのでしょう。


「モデル・マイノリティ」という概念は、
1960-70年ごろのアメリカ合衆国で広まりました。
(それ以前から、どこの社会でも
「モデル・マイノリティ」と呼べる、マイノリティに対する
見かたや扱いかたはあったと思いますが。)

「差別に基づいたモデルマイノリティの概念」
「”モデル・マイノリティ"イメージとアジア系アメリカ人女性」

日本は第二次世界大戦でアメリカ合衆国との
交戦国だったため、日系アメリカ人は、
アメリカ社会では不信の眼で見られがちでした。
その不信感を拭い去るために、日系アメリカ人は
勤勉となり、社会的に成功をおさめるよう努力し、
アメリカ社会への忠誠をしめしました。

そうした日系アメリカ人の様子から、
「マジョリティにとって理想的に振る舞うマイノリティ」、
つまり「モデル・マイノリティ」という概念を
認識するようになったのでした。

アメリカ社会における日本人差別から生じた
「モデル・マイノリティ」という概念にもとづいて、
日本人が日本国内でマイノリティを差別するのに
使っているのは、皮肉と言っていいのでしょうか?

posted by たんぽぽ at 07:03 | Comment(0) | 政治・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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