もめるなんてありえないという、解説ツイートです。
子どもの名字でもめるくらいなら、
夫婦別姓を選択するにいたることはないということです。
つまり夫婦別姓を選択しているということは、
すでに子どもの名字の問題はクリアしているということです。
子どもの苗字で揉めるような2人が、敢えて別姓婚を選択するという事態が全く想定できませんね(大爆笑)。
— ᓚᘏᗢ猫アカデミー (@nekoacademy0) 2018年8月25日
だって、子どもの苗字で揉める前に、まずは当人同士で揉める可能性があるわけでしょう?そこで2人が納得ができる選択ができなければ、子どもの苗字云々まで決して行き着かない。
— ᓚᘏᗢ猫アカデミー (@nekoacademy0) 2018年8月25日
別姓反対の理由で子どもの苗字を持ち出す滑稽さはそこですよ。当人同士が納得できれば、子どもの件は「大きなお世話」。
あり得ないですよね。敢えて別姓婚に踏み込む人は、子どもの姓問題をクリアしているに決まってるんです。自分が当たり前に通ってきた道&昔過ぎて、ついうっかりその視点を忘れてしまっていました😅
— ᓚᘏᗢ猫アカデミー (@nekoacademy0) 2018年8月26日
「子どもの姓で揉める」…そんな訳あるはずない。何を寝言抜かしてやがる、以外の感想はありません。
子どもの名字のことなんて、夫婦別姓を選択しようとする際、
すでにおたがいで話し合って決めている、ということです。
それゆえ夫婦別姓で結婚して、実際に子どもが産まれたときは、
もう解決済みのことで、もめることはないわけです。
夫婦別姓を選択している、あるいは希望しているかたは、
ある意味わかりきったことだと思います。
ツイートのかたも「自分が当たり前に通ってきた道&昔過ぎて、
ついうっかりその視点を忘れて」いたと言っています。
「夫婦別姓だと子どもの名字でもめる」というのは、
少なくない選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は、
どういうわけか自信たっぷりに断言します。
反対派(非共存派)は子どもの名字は、子どもが産まれてから
決めるとでも思っているのかもしれないです。
「子どもの名字でもめる」と信じている時点で、
現実の夫婦別姓の家庭の事情をまったく知らないことは、
多少現実を知っている人には丸わかりということです。
「子どもの姓はどうするんだ」の人は、姓というものに対して無頓着&無知だからその発言が出てくる。
— utchie! (@utchie) 2018年8月26日
無頓着&無知だから、自分の婚姻時の姓決めも自動的に決まるとか常識ではとか思い込んでいるので、姓についての誤解をデマ化させている。
こんな「あたり前」のことが本気でわからないから、
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は、生活感が感じられず、
恋愛や結婚をろくに知らないのではないかとまで、
思われることにもなるということです。
「夫婦別姓反対派・生活感の欠如」
仰る通りです。子どもの名字で揉める、などと考える前に、これから自分のパートナーとなる人と、姓について話し合う必要が生じる可能性を想像して欲しいものです。唐突に子どもを持ち出したりするから、非共存派は恋愛とか結婚などの実体験に乏しい、などと言われる羽目になるんですよね。
— ᓚᘏᗢ猫アカデミー (@nekoacademy0) 2018年8月26日
選択的夫婦別姓の反対派は、子どもに自分の名字を
名乗らせたいと思っているのかもしれないです。
それで夫婦別姓を選択するかたも同様だと思って、
「子どもの名字でもめる」と断定するのかもしれないです。
「自分の姓に自動的に決まらなくなるから、選択的夫婦別姓に反対」という意図が透けて見えるんですよね。以下同文。
— ᓚᘏᗢ猫アカデミー (@nekoacademy0) 2018年8月26日
選択的夫婦別姓の反対派はそうなのかもしれないですが、
夫婦別姓を選択するかたは、かならずしも子どもに
自分の名字を名乗らせたいと思ってはいないです。
反対派諸氏におかれましては「自分がそうだから
他人もそうにちがいない」と考えないでほしいものです。
こんな調子であれば、選択的夫婦別姓の反対派は、
「自分と他人の区別ができない」と言われるというものです。