2018年10月06日

toujyouka016.jpg 「新潮45」同性愛差別で休刊

少し前のニュースですが、触れておきます。
9月25日に新潮社が『新潮45』の休刊を発表しました。
「休刊」と言っていますが、実質的に「廃刊」です。

杉田水脈の「同性愛者に生産性はない」という、
性的少数者を差別する記事を載せたことが、休刊の原因です。

「新潮社が「新潮45」の休刊を発表 「深い反省の思いを込めて決断」」
「『新潮45』の休刊よりも、新潮社がやるべきだったこと。「保毛尾田保毛男」騒動でフジテレビは何をしたのか?」

「「新潮45」の休刊を発表 杉田水脈氏の寄稿問題で批判」
(はてなブックマーク)
「「限りなく廃刊に近い休刊」 新潮45を追い込んだ怒り」
(はてなブックマーク)

 
LGBTをめぐる寄稿や企画が批判されている月刊誌「新潮45」について、
発行元の新潮社は25日、休刊を決めたと発表した。
部数が低迷し試行錯誤を続ける中で
「編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や
原稿チェックがおろそかになっていたことは否めない」と説明。
「会社として十分な編集体制を整備しないまま
刊行を続けてきたことに対して、深い反省の思いを込めて、
休刊を決断した」「限りなく廃刊に近い休刊」としている。

新潮社からの「休刊のお知らせ」の全文。

「新潮45」休刊のお知らせ

 弊社発行の「新潮45」は1985年の創刊以来、
手記、日記、伝記などのノンフィクションや多様なオピニオンを
掲載する総合月刊誌として、言論活動を続けてまいりました。

しかしここ数年、部数低迷に直面し、試行錯誤の過程において
編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックが
おろそかになっていたことは否めません。
その結果、「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」
(9月21日の社長声明)を掲載してしまいました。
このような事態を招いたことについてお詫び致します。

会社として十分な編集体制を整備しないまま
「新潮45」の刊行を続けてきたことに対して、
深い反省の思いを込めて、このたび休刊を決断しました。
これまでご支援・ご協力いただいた読者や関係者の方々には
感謝の気持ちと、申し訳ないという思いしかありません。

今後は社内の編集体制をいま一度見直し、
信頼に値する出版活動をしていく所存です。

2018年9月25日
株式会社 新潮社


杉田水脈の記事が8月号に掲載されてからの経緯を、
わたしはずっと追っていなかったのでした。
それで完全に情報に乗り遅れた状態になっています。

新潮社の別の編集部がツイッターで、
『新潮45』の性的少数者差別を批判したこと、
10月号で杉田水脈の記事を擁護する記事を掲載したこと、
とくに小川栄太郎の記事えげつなかったこと、
LGBT問題の関係者や論壇から猛烈な批判があったことなど、
展開は結構めまぐるしかったです。


『新潮45』は雑誌が売れなくなってきたので
ヘイトを載せることで売り上げを巻き返そうとした
ということではないかと、わたしは想像します。
予想に反して猛烈な批判を受けたので、
一気に休刊にせざるをえなくなったのでしょう。

『新潮45』は最近売れ行きが伸び悩んでいたのは、
「ここ数年、部数低迷に直面し」と、
新潮社の公式の休刊のお知らせでも言及があります。



次の記事を見ると、『新潮45』がヘイト記事を目立って
載せるようになったのは、比較的最近らしいことのようです。
1年前はわりと「まともな」雑誌だったということです。
しかもヘイトへ舵を切るという編集方針は、
最後の編集長の判断によるところが大きいようです。

「『新潮45』廃刊の真相と小川榮太郎氏の正体とは(後編)」
そういう意味では『新潮45』の若杉良作編集長の罪は重い。
私は長年にわたり若杉編集長と一緒に仕事をしてきた。
しかし、今年になってから急に誌面が変わり、
極端なネトウヨ路線になってしまった。
政権批判が多かった私の連載「だからあれほど言ったのに」も終了した。

今年になってからは、二度くらい一緒に酒を飲んで、
「きちんとした右翼に原稿を依頼するならともかく、
論外のネトウヨに記事を書かせたら、新潮社の名前を
汚すことになりますよ」「引き返すなら今ですよ」と伝えた。
その時の彼の返事は明かさないが、
がっかりして自宅に戻ったのを覚えている。

「編集長が「暴走」し誌面過激化 新潮45の常連筆者指摘」
(はてなブックマーク)
「現在の編集長になって誌面ががらりと変わった。
それまでは左右のバランスがとれた誌面だったが、
右派雑誌の執筆陣をごっそり持ってくるようになった」と振り返る。
「あまりに唐突な方針転換で、このまま無事では済まないと、
ある程度予想していた」と振り返る。

小田嶋さんは「今年に入り、誌面はさらに過激化したように見えた」といい、
編集長の「暴走」に、担当編集者は「苦慮していたようだ」と話す。


ヘイトで売り上げを伸ばそうなんて浅ましいことなど、
個人ブログを書く人が考えるようなレベルです。
それを大手出版社がやっていたということです。
メディアとしての矜持にかかわるだろうと思います。

他者を差別し、人権を否定し、傷つけ、踏みにじることで
人気を得ようとする考えややりかたにどんな問題があるかは、
いまさら言うまでもないことだと思います。
本来なら個人ブログでもやってはならないことです。

現代の日本社会においては、ヘイトにニーズがないとは、
はなはだ残念なことですが、わたしは思えないです。
『正論』『Will』など、そうしたひどく偏った主張を
専門的に扱う雑誌はいくつかありますが、
それで新規参入する余地がないとも思えないです。

『新潮45』の同性愛ヘイトの記事に対しては、
書店や執筆者からも反発が多くあったのでした。
もとから偏った思想を専門的に扱うメディアと違って、
まともなメディアが偏向思想に舵を切ると、
論壇からの反発を受けることはあるのでしょう。

https://www.asahi.com/articles/ASL9T5Q0TL9TUCVL02T.html
10月号に特別企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」を
載せると作家や書店なども含め反発はさらに強まり、
同社での執筆や取引を取りやめようとする動きも出ていた。


無名の人でもヘイトを記事に書いたら読者が増えたので、
それに味をしめたという人は少なくないと思います。
有名人でも長谷川豊氏のように読者受けを狙って、
個人ブログでヘイトを書き散らす人もいました。
ヘイトは個人ブログが手っ取り早く人気を得る
手段であることは、残念ながら確かなようです。

長谷川豊氏はわたしもブログで取り上げたことがあります。
彼らのような個人が書くブログのヘイトは、
事実や根拠などろくにかえりみず、
劣情や偏見に訴える内容であることが相場です。
(事実や根拠にもとづいたら、ヘイトは書けないと言えます。)

「長谷川豊の少子化対策」

『新潮45』の休刊のお知らせには「編集上の無理が生じ、
企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックが
おろそかになっていた」というコメントがあります。
おそらくこちらも事実や根拠よりも、劣情や偏見に訴える
内容の記事が多くなっていたことが予想されます。


『新潮45』の休刊はある程度以上必然だったのか、
たまたま巡り合わせが悪かったのか、という問題があると思います。
『新潮45』にかぎっては「ヘイトなんか載せるから
そうなったんだ」と言えますが、いつでもこのように
都合よく因果応報が巡るとは思えないです。

長谷川豊氏は、自分のブログで人工透析を受ける人を
攻撃する記事を書いて
、猛烈な批判を浴びることになり、
レギュラー出演の番組をすべて降ろされるにいたりました。
このような「クリティカル・ヒット」は
たまにしか起きないですし、長谷川豊氏に関しては
「巡り合わせが悪かった」と言えると思います。

posted by たんぽぽ at 21:19 | Comment(0) | 政治・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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