「自分は賛成派」と詐称した選択的夫婦別姓の反対派ですが、
ついに本性を現して「自分は反対派」と言いだします。
「自分が反対派になったのは、たんぽぽを含めた
推進派のせいだ」と、わたし(推進派)に責任転嫁です。
いや、賛成してたが、あんたら推進者のヤバさを見て意見を変えた。あんたらがギャースカ言わなかったら、まだ賛成の立場にいたわ。
— 米原 伊吹@Kの人 (@the_blue_fox) 2018年7月12日
あなたは反対派なのに賛成派だとうそをついていると、
わたしがはっきり言ったので、それにキレたのもありそうです。
https://t.co/nbi0FS0JZ1 あなたは選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)なのに、「私は夫婦別姓に賛成です」と何度もうそをつくのですから、「立場を詐称」しています
— たんぽぽ (@pissenlit_10) 2018年7月12日
言いたいことはいくつかあります。
ここでは「あの推進派の態度が気に入らないから、
自分は選択的夫婦別姓に反対する」という、
「属人的判断」について、お話したいと思います。
「属人的判断」で選択的夫婦別姓に反対する人は、
自分にまともな理屈がないか、反対することに
やましさを感じているかだろうと思います。
反対することを正当化するだけの理由がないので、
「推進派の態度」に責任転嫁するということです。
主体性のないやりかたでもあります。
中には反対するために、推進派に責任転嫁する
口実がほしくて、わざと推進派に議論を仕掛けてくる、
「当たり屋」もいることが予想されます。
(最初のツイートの反対派が「当たり屋」かどうかはわからないです。)
選択的夫婦別姓の是非は、特定の推進派の個人的資質とは無関係です。
よって推進派の態度を理由に反対するというのは、
「あの科学者の態度が気に入らないから、
相対性理論は間違っていると私は考えることにする」と
言っているのと、同じくらいナンセンスです。
「属人的判断」をする反対派(非共存派)は、
選択的夫婦別姓の推進派の態度を否定することで、
推進派から議論で手加減してもらったり、
もっと気を遣ってもらおうというのかもしれないです。
「推進派に立腹して反対派になった自分」を見せることで、
第三者に対して「推進派は攻撃的」とか、
「推進派はこうやって敵を増やしている」と思わせて、
推進派の印象を悪くしようというのかもしれないです。
(「だれちゃんが嫌いだから反対」という態度が
幼稚でおとなげないとか、第三者に自分がおとなげないと
思われる可能性があるとは、考えないようです。)
このあたりは「推進派は自分を説得させなければ
選択的夫婦別姓の実現はありえない」と詰め寄ってくる
反対派と同じメンタリティだと言えます。
「自分が理解できるように説明しろ」
「あの推進派の態度ややりかたが気に入らないから
選択的夫婦別姓に反対する」というのは、
「推進派は反対派の気分を害さないような態度や
やりかたで接しなければならない」ということです。
これはとりもなおさず、被差別マイノリティにばかり
「議論の仕方」を要求してハードルを高くしたり、
マジョリティに対して腰を低くすることを要求する
ということであり、差別的でもあります。
「もともとは自分は反対ではなかったが、
推進派の態度のせいで、反対することに決めた」
という理由で選択的夫婦別姓に反対する人は、
もとから反対派であることがほとんどだと思います。
最初のツイートの反対派「米原 伊吹」はそうでした。
まともな判断力と理解力のあるかたは、
聞く姿勢、理解する姿勢があります。
よって推進派と議論をしても「攻撃された」と言って、
つむじを曲げたりしないでしょう。
「属人的判断」より理屈を優先させるでしょうから、
特定の推進派のせいで反対などしないでしょう。
今までは積極的な反対派じゃなかったけど、賛成派から「攻撃された」から、反対派になろうと思うって明言する人は、潜在的な反対派だったんだよ。自分とは違う価値観が許せなかったけど、世間的に言語化しづらかっただけ。「攻撃された」のを根拠に堂々と反対できると宣言できたの。
— 3a8(ab) (@saya_fairyland) 2018年3月4日
あのモリゾーくんと同じ精神構造。物事の正否を置いといて、「人」に反発する。今年の国語の先生が嫌いだから、もう国語の勉強はしないと、先生本人に宣言するのと似てるかも。精神年齢が中学生と同じ。本当に困ってる人に対する一種の脅迫でもある。ねえあなた、国語の勉強したくないだけだよね?
— 3a8(ab) (@saya_fairyland) 2018年3月4日
「属人的判断」で反対すると言いだす人は、
もとから反対派だった可能性が高いです。
この点については推進派は気にしなくていいと思います。
「自分のせいで反対派が増えた」なんて
悩む必要はまったくない、ということです。
くだんの反対派は、それまで遠慮していた
選択的夫婦別姓に対する反対を、堂々と公言するようになるので、
態度が「硬化」したと言えます。
それでも反対派の人数が増えたわけではないので、
推進派の損失はほとんどないと言えます。
推進派としては、この反対派にはまともな理屈はなく、
「だれちゃんの言うことだから反対」という、
おとなげなく、主体性もなく、責任転嫁をする人であることを、
第三者にわかるようにすればいいと言えます。
わたしは長いネット歴のあいだに、
たくさんの人たちから嫌われています。
そうした中でもジェンダー問題や法律問題に見識がある人は、
わたしに対する個人的嫌悪や憎悪を理由に
選択的夫婦別姓に反対することはないです。
よって「属人的判断」で選択的夫婦別姓に
反対するかどうかは、本人の資質の問題ということです。
「属人的判断」で反対する反対派は、
推進派のせいだと言い張りますが、
実はその反対派自身の人間性の問題ということです。