「Withnews」の、夫婦別姓の家庭で子ども時代を
育ったかたたちによる、座談会記事を見ていきます。
「親が夫婦別姓、子どもの本音を聞いてみた「困ることはない。以上」」
(はてなブックマーク)
インタビューアーは、選択的夫婦別姓の反対派の
主張についてどう思うかを訊いています。
最初は「子どもがかわいそうだ」です。
反対派(非共存派)からあなたたちは「かわいそうだ」と
言われていますが、どう思うか?という意味にもなります。
ネット上の議論などで、別姓導入に反対する人が
「子どもがかわいそうだ」と主張することについてどう思いますか?
「ネット上の議論などで」と言っていますが、
ネットだけでなく、むかしからの選択的夫婦別姓の
反対派(非共存派)の主張の「定番」となっています。
回答はもちろん「名字が理由でかわいそうなことはない」です。
そして「なぜ夫婦別姓の子どもはかわいそうと、
考えるのかわからない」と言っています。
(そういえば反対派(非共存派)と議論になったとき、
「なぜ夫婦別姓の子どもはかわいそうと考えるのか?」と
立ち入って訊いたことはないように思います。
一度この点を訊いてみるといいのかもしれないです。)
感じたことがないので、「自分たちのイメージで語ってるな」と思います。
名字が違うだけで、あとは周りの家族と同じように過ごしてます。
何でそんな考え方が出てくるのか分からないですね。
養子縁組とか、いろんな家族がすでにたくさんありますよね。
でも、血のつながりがなくても仲良く過ごしている
家庭ってたくさんあると思います。
父母の名字が違うだけで、仲も悪くない家庭。
どうしてそういう考えになるのか、正直分からないです。
思い込みじゃないかと…。
その意識を変えていってもらうしかないのかな、と思います。
母の姉は外国人と結婚しているので、
名字の違う家庭を持っていますが、仲が良いですよ。
わたしもわからないです。
とくにわからないのは、夫婦別姓の家庭で育った子どもは
名字が理由で不幸だという例がないという情報が
いくつも出ているにもかかわらず、金科玉条のように
「夫婦別姓の子どもはかわいそう」と言い続けることです。
「思い込み」なんてレベルではないように思います。
彼ら反対派(非共存派)は確固たる信念を持って、
「夫婦別姓の子どもはかわいそう」と
主張しているのではないかと思います。
戦後民法によって規定され、高度経済成長期に定着した
「家族のありかた」を「信仰」のようにしているので、
選択的夫婦別姓に反対している人の場合は、
なぜ「夫婦別姓の子どもはかわいそう」と考えるのか、
その精神構造は多少わかるかもしれないです。
「家族思想という信仰」
彼らにとっては、自分の「信仰」する家族思想に
したがった家族だけが「幸せな家族」であり、
家族思想から外れた家族はすべて
「不幸な家族」ということになります。
夫婦別姓は彼らの家族思想に含まれないですから、
「不幸な家族」に決まっているのであり、
そんな家庭の子どもは「かわいそう」ということです。
「その意識を変えていってもらうしかないのかな」という
意見も出ていますが、彼ら選択的夫婦別姓の反対派が
意識を変えることはまずないだろうと、わたしは思います。
反証する根拠がたくさん出ているにもかかわらず、
「夫婦別姓の子どもはかわいそう」という認識に
固執するのは、事実と関係なくそう信じたい
信念があるということだからです。
彼らが意識を変えるには、信念に固執する
原因を取り除く必要があることになります。
それは事実や根拠を示すという、ふつうの議論で
できることではないことでしょう。