「親が夫婦別姓・子どもの本音」
「親が夫婦別姓・子どもの本音(2)」
「Withnews」の夫婦別姓の家庭で子ども時代を
育ったかたたちによる、座談会記事を見ていきます。
「親が夫婦別姓、子どもの本音を聞いてみた「困ることはない。以上」」
(はてなブックマーク)
インタビューをなさっているかたは、
次に親が夫婦別姓であることについて訊かれて、
嫌な思いをしたことはあるかを訊いています。
「何で両親の名字が違うの」と聞かれて、嫌な思いをしたことはないですか?
僕は離婚が数年前ということもあり、
母と違う名字について聞かれたこと自体が全然ないですね。
小学生の頃、自宅に遊びに来た友達が表札を見て聞いてきましたけど、
むしろ「違う方がかっこよくない?」と言ってました(笑)
軽く聞いてくる人に対しては、「どうせ興味本位で
聞いているんだから、ほっといて」と思ってましたね(笑)。
こっちが制度について真剣に説明しても、
「聞く耳を持ってもらえないしな」と感じていました。
興味がない人には、説明しても意味がないって感じでしょうか?
そうですね。こっちの事情を分かろうと思って
聞いているわけじゃないと思うので、
「聞いてこないで」とは思いました。
ここで言及したいのは、訊いてくる人の中に、
「こちらの事情をわかろうと思って訊いているのでない人」
「聞く耳を持ってもらえない人」がいるということです。
理解する気がないのに訊くというのは妙なお話です。
「相手に訊く」というのは、理解するための行動だからです。
この「理解する気がないのに訊いてくる」というのは、
選択的夫婦別姓について議論になったときの、
反対派(非共存派)の一般的な態度でもあると思います。
推進派がいくら自分たちの事情について語っても、
反対派(非共存派)はそれをろくに聞かず、
自分が信じている根拠薄弱な妄想同然の主張に固執します。
推進派が資料を提示しても、反対派(非共存派)は
それをろくに読もうとしないです。
反対派がこうした態度を示すのはよくあるというか、
議論になるとほぼかならず、反対派はこうなると思います。
それは反対派と少しでも議論したことのある
推進派のかたでしたら、だれでも実感があることでしょう。
彼ら反対派(非共存派)は、選択的夫婦別姓の実現を
望んでいる人たちの事情を知りたいのではないのでしょう。
選択的夫婦別姓なんか望んでいる人たちの
どこを叩いてやろうか、どうやって粗探ししようかと、
はじめから攻撃目的なのだろうと思います。
議論を通じて理解を深めるのではなく、
議論で気に入らない人たちに「勝つ」ことが目的です。
彼ら反対派は、たいていすぐに推進派からの
反論に耐えきれなくなって、退散を余儀なくされます。
それでも彼ら反対派は「負け」を認められないので
「推進派はまともな議論ができない」のような
事実とまったく正反対のことを言って、虚勢を張ることになります。
選択的夫婦別姓に反対するくらいの人は、
確固たる信念を持って反対していることが多いです。
はじめに結論ありき、自分の信念を守ることが
大事であり、いかなる事実や根拠を聞いても、
けっして考えを改めない頑迷きわまりない人たちです。
それゆえ選択的夫婦別姓の反対派と議論すると
ほぼ例外なく、反対派(非共存派)は「選択的夫婦別姓を
望んでいる人の事情をわかろうと思って訊かない」し、
「聞く耳持たない」ことになるのでしょう。
反対派(非共存派)の中には、推進派に対して
「自分が理解できるように説明しろ」と言ったり、
「事実と根拠を示せば説得されますよ」などと言うことがあります。
「自分が理解できるように説明しろ」
「説得されない選択的夫婦別姓反対派」
反対派(非共存派)からそう言われても、
まったくしらじらしいだけで、少しも信用できないです。
「選択的夫婦別姓を望んでいる人の事情を
わかろうと思って議論しているのではない」ことが、
彼らからもまたにじみ出ているからです。
彼らが考えていることは「自分には理解できない、
理解できるように説明しろ」といつまでも言い続けることで、
議論を半永久的に引き延ばすことでしょう。
「反対派と議論すると... パラノイア的精神状態」