「女子差別撤廃条約と最高裁判決」
「選択的夫婦別姓に反対することは差別や
人権侵害でないと言うなら根拠を示せ」という
わたしからのお尋ねに関係して、「四条烏丸(旧:もも281)」は、
「過去にそんな差別を無くす運動はあったのだろうか?」
などと言っています。
https://t.co/L8cG9yh8iY
— 四条烏丸 (@nanaarek20) 2018年11月9日
これも何いってるかわからない。仮に差別されてるとしてそれが言うまでもない当たり前だから言わない……(苦笑) 過去にそんな差別を無くす運動はあったのだろうか?人種差別は当たり前だから言わない……そんなこと過去にあったか?爆笑 pic.twitter.com/vZIDDiuWW2
「そんな差別」がなにを指しているのか、
文脈がややわかりにくいです。
つぎのわたしのツイートを参照しているし、
ここでの話題を考えれば「差別」とは
「選択的夫婦別姓に反対すること」でしょう。
「四条烏丸」の言いたいことは「選択的夫婦別姓を
実現するための運動は、むかしからあったのか?」
ということになるものと思います。
選択的夫婦別姓を実現するための運動は
むかしからあったなんて、あきらかなことです。
わたし自身2001年-2002年ごろから、
選択的夫婦別姓の運動にかかわっていました。
すでに16-17年ほどになります。
このころは自民党の選択的夫婦別姓の推進派議員が
活発に活動していたことです。
彼らを支えるべく、選択的夫婦別姓の実現を求める
市民運動もさかんに活動をしていました。
もっと前から運動にかかわっていたかたも
もちろんたくさんいらっしゃります。
法制審議会の答申書が出たのが1996年です。
このときに現代につながる運動が始まったと考えても、
すでに22年経過しています。
法制審議会の答申書以前にも運動はありました。
旧姓を通称使用できることを求める
いわゆる「関口裁判」は提訴が1988年でした。
裁判に訴えることも運動ですし、それは30年前のことです。
「関口裁判(職場での通称使用を求める裁判)」
いわゆる「関口裁判」と呼ばれるものは、
1988年(昭和63年)に関口礼子さんが図書館情報大学を相手に
通称使用ができるようにと提訴したものです。
最終的には和解となりました。
1976年に離婚しても、結婚改姓していたかたが
旧姓に戻さなくてよいという、婚氏続称が認められました。
離婚によって名字が変わるのは、職業上のキャリアの断絶や
プライバシーの暴露になり不利益になるから
避けたいという要望が強くなったからです。
「婚氏続称とその経緯」
そのあと、それなら結婚によって名字が変わるのも
同じ理由で不利益がある、という議論が出てくることになります。
1980年代になると、選択的夫婦別姓の議論が高まります。
選択的夫婦別姓の実現を求める、現代と連続性のある運動は、
1980年代には本格的にあったと言ってよいでしょう。
すでに40年近く前になります。
「「社会と女性と法律と」その12
【1976年(昭和51年)民法改正・婚氏続称が可能となる】」
離婚して姓が突然変わることが不都合だと
認められるならば、結婚によってもともとの姓を
変えなければならないのも不都合だとなります。
そう考えれば、夫婦別姓問題も取り上げられてもおかしくないわけですが、
その頃はまださほど問題にはなっていませんでした。
その後女性の社会進出はますます進み、
キャリアを重ねる女性が増えたことに加えて、
晩婚化という背景もあり、1980年代に入ってからは、
夫婦別姓についても関心が高まるようになります。
敗戦後の民法の制定にかかわっていた、
民法学者の中川善之助氏は、ジェンダー平等の見地から
起草委員会で夫婦別姓論を主張していました。
これはとくに若い人たち(おそらく男性)から
反対の憂き目にあい、選択的夫婦別姓の実現には
残念ながらいたらなかったのでした。
(『夫婦別姓への招待』(有斐閣選書)の
192-193ページにこのお話はくわしい。)
ここで夫婦別姓論が議論になるということは、
選択的夫婦別姓の実現を求める運動が、
敗戦直後にもあったと考えることもできます。
平塚らいてうは自伝『元始、女性は太陽だった』で、
「女が結婚すると、いままでの姓を捨て、
男の姓を名乗らねばならないことにも、前まえから
大きな疑問と不満を持っていました」と書いています。
(『夫婦別姓への招待』170ページ)
「平塚らいてう自伝「元始、女性は太陽であった」を読む31〜40」
戦前の民法を制定するための民法典論争が
なされていた1890年には、清水豊子は『女学雑誌』で、
妻を夫の付属物のようにしないために、
女性は結婚しても生来の名字を名乗り続けることがよい、
という主旨のことを書いています。
(『夫婦別姓への招待』161ページ)
これらを見ると、選択的夫婦別姓を求める
運動は戦前から、それもまだ明治民法を制定する前の
議論をしている時期からすでにあったとも言えます。
「過去にそんな差別を無くす運動はあったのだろうか?」などと、
わたしを見下したような調子で「四条烏丸」は言っています。
それは「四条烏丸」が知らないだけ、ということです。
「四条烏丸」は選択的夫婦別姓問題をはじめ、
ジェンダー問題や差別問題に対する見識はろくにないです。
どのくらいないかというと、「選択的夫婦別姓の推進派は、
夫婦別姓だと離婚のハードルが下がることを
議論しない」などとまじめに言うレベルです。
「選択的夫婦別姓と離婚の関係」
「独自の論拠を他人が調べる?」
その程度の見識しかないなら、選択的夫婦別姓の
実現を求める運動なんて、ろくに知らなくて当然だと思います。
それでもなぜか「四条烏丸」は「自分の見識が狭いから
知らないだけ」の可能性を考えないようです。
「自分が知らない=存在しない」と考えているなら、
おこがましいにもほどがあるというものです。
自分が知らないことでも存在していることは
この社会にはたくさんあることを、
「四条烏丸」は理解する必要がありそうです。