論文は「なぜ嫌われるのか?」というタイトルですが、
はっきり「夫婦別姓が嫌われる理由はこうです」と
述べているというほどのものでもないです。
(いささか残念だった。)
「夫婦別姓は何故「嫌われる」のか?」
どの社会にも「なんとなく」「あるべき」家族の姿と
いうものがあること、そして現代日本の場合は、
夫婦別姓が「なんとなく」「あるべき」から外れるから、
ということが「なぜ嫌われるのか?」の答えになりそうです。
そもそも「家族」にはこれといって明確な定義はない.
その時代,その土地によって何となく「あるべき家族の姿」と
されているものがあるだけであり,結局のところ何を家族とするか,
誰を家族と看做すかは個人個人異なる.
血縁や法的関係だけが家族の根拠ではない.
従前の異 性愛や法律婚,血縁を基準とした家族観に対して,
国連は唯一の家族像を追求しないことを強調しているし,
ユネスコも家族には多様性があることを前提としている.
現在では,主観的家族観(各個人が家族であると
思うものが家族)が拡がっている.しかしながらこの何となく
「こうあるべき」というのは意外と強固である.
現在でも婚姻に際しては女性の改姓が当然であると
思っているのが男女ともに多数派であろう.
ここでいう「当然」とは「女なのだから改姓は当たり前,
別姓を望むのは生意気」などという程強い意見のことではない.
もちろんそうした意見もあるであろうが,
多くは「何となく そういうもの」と思っているに過ぎず,
同姓の強制について深く考えたことがないだけであろう
(ただし,この「何となく」や深く考えない姿勢が,
結局は排除や差別につながる危険因子ではある).
この「なんとなく」は、漠然としたものだと思います。
それでもなかなかあなどれないようで、
案外と強固だし、また排除や差別につながる
危険因子にもなるという指摘があります。
「あるべき」家族とはどのようなものか、
選択的夫婦別姓に明確に反対する人たち、より具体的には、
補助ブログの2017年12月29日エントリでお話した
「レベル3」以上の反対派であれば、それははっきりしています。
「夫婦別姓と同性婚・反対派のレベル」
レベル1. 自分は夫婦別姓も同性結婚もしない
レベル2. 他人の夫婦別姓や同性結婚も許さない
レベル3. 夫婦別姓や同性結婚は日本の伝統に反する
レベル4. 夫婦別姓や同性結婚は家族を破壊し、社会や国家を崩壊させる
レベル5. 夫婦別姓や同性結婚は在日、フェミニズム、共産党の陰謀
それは戦後民法と、戦後の企業利益によって規定され、
高度経済成長期に定着した「標準家族」です。
この中に夫婦別姓は含まれないので、
夫婦別姓は「あるべき」家族ではないとされます。
「家族思想という信仰」
「家族思想信仰の「経典」」
論文の最初で指摘がありますが、
家族やジェンダーに因襲的な人たちは婚姻制度を利用して、
「あるべき」に含まれない家族を排除しようとします。
またなぜ保守派・伝統 主義者は婚姻外のライフスタイルを
選択した人/選択せざるをえない人を社会的に排除したがるのか.
あるいは,婚姻の権利を万人に認めず,排除する人間を
つくりたがるのか.婚姻制度が,それ以外のライフスタイルを
差別化し,守られているのはなぜかである.
彼らが選択的夫婦別姓に反対するというのは、
まさに夫婦別姓を「あるべき」家族ではないとして、
排除することにほかならないです。
彼ら反対派が「あるべき」に固執する理由は、
自分の考える「あるべき」が、一種の「イデオロギー」や
「信仰」になっているからだと思われます。
「信仰」ですからそこに理屈など存在せず、
「それがあるべき信じるもの」ということです。
これでは身も蓋もないので、もう少し理由らしいことを言うと、
彼らは「あるべき」家族を定着させたことで、
高度経済成長をもたらしたと信じているからだと思います。
戦後の企業が「あるべき」家族を社員のあいだに
定着させたのも、そもそもは社員の生産性が
向上すると信じられたことによります。
「家庭のことは妻に任せきりにしたほうが、
男性従業員が会社で仕事に専念できる」ということです。
本当に社員の多数が「あるべき」家族を持ったことが、
戦後の経済発展の原因となったかは、はなはだ怪しいです。
それでも「あるべき」家族の定着が、高度経済成長期が
重なったので、それが原因と信じているわけです。
論文で問題にしているのは、このような極端で偏った
わかりやすい選択的夫婦別姓の反対派ではないと思います。
もっと一般的に見られる人たちの中の
「なんとなく」「あるべき」だろうと思います。
一般的な人たちの「なんとなく」「あるべき」も
突き詰めれば、家族やジェンダーに因襲的な人が
「信仰」している家族イデオロギーだろうと思います。
一般の人たちは、因襲的な人たちほどには
確信を持って「信仰」しているのではないでしょう。
因襲的な人たちによる「あるべき」家族が
社会通念として蔓延して、「なんとなく」家族とは
そういうものと、一般の人たちも思っているのだろうと思います。
因襲的な人たちが信仰する「あるべき」家族が、
一般の人たちのあいだに「なんとなく」
蔓延していることを示していると考えられるのは、
日本の大衆コンテンツに描かれる「平凡な家族」です。
つぎのように、この「平凡な家族」は、
臼井儀人氏の『クレヨンしんちゃん』に代表されるように、
典型的な「あるべき」家族であることが多いです。
「信仰としての家族思想(2)」
日本での子ども向けアニメ作品にありがちな家庭環境というと以下のような特徴がある。
・東京郊外のベッドタウン住まい
・お父さんはサラリーマンでお母さんは専業主婦
・長男長女の4人家族
・裕福ではないが貧しくはなく、家庭環境は良好
そして多くのコンテンツの受け手は、
これを「ありふれた平凡な家族」と思い込んでいることです。
現実には、それだけの暮らしができる人は、
むしろ裕福層に入るくらい、「平凡な家族」から
かけ離れているにもかかわらずです。
「子どもふたりの適正年収」
かつての野原ひろし=子持ちでマイホームとマイカー持ってる
— KAKERU (@BARKAKERU) 2014年12月16日
出世の目が出ないショボイおやじ
今の野原ひろし=子持ちでマイホームとマイカー持ってる
ちゃんと職を持った立派なお父さん。勝ち組
この20年
一体どれほどの経済的損失が発生したのかがうかがわれる。
現実離れしているものを平凡と思って
疑問に思わないところに、それを「あるべき」家族と、
信じ込まされていることが現れていると思います。