2018年12月24日

toujyouka016.jpg 結婚はだれのための制度か?

だいぶ前になりますが、11月21日の朝日新聞『耕論』に、
同性カップルや結婚制度についての、
3人の識者に語ってもらった記事があります。
杉田水脈が『新潮45』に載せた、
反同性愛の記事
を発端にしたものだと思います。

「(耕論)同性カップル、愛あれば? 戸田ひかるさん、馳浩さん、牧村朝子さん」
「(耕論)同性カップル、愛あれば? 戸田ひかるさん、馳浩さん、牧村朝子さん」(全文)

結婚制度に関連して、選択的夫婦別姓にも言及があります。
あまりよそでは聞かないお話もいくつかあります。

 
ひとり目の寄稿者は戸田ひかる氏です。
次のくだりを注目したいと思います。

あちこち矛盾だらけなのに、
矛盾に向き合うところまで議論が進んでいません。
同性同士もだめ、子どもがいないのもだめ、別姓を選んでもだめ。
結婚って、一体誰のための制度なのでしょう?

結婚はだれのための制度か?
原則を言えば「個人のため」「結婚する当人のため」です。

それゆえ結婚しても双方が名字を変えたくないとか、
同性どうしで愛し合っているという個人がいるなら、
そうした人たちの必要に応じて、
選択的夫婦別姓や同性結婚を認めていくといった、
制度を整備することが社会の役目です。

制度や社会はもともと人間が生活するために、
人間が作り出した「被造物」です。
それは当然「想像主」である人間のため、
すなわち個人のためにあることになります。


選択的夫婦別姓や同性結婚に反対する人たちは、
結婚を個人のためとは考えないようです。

彼らは戦後民法で規定され、企業利益のために
高度経済成長期に定着させた家族観を「あるべき家族」とする
家族イデオロギーを「信仰」のようにしています。

「家族思想という信仰」

彼ら反対論者たちにとっての「結婚」とは、
このような「家族のありかた」に対して自分が「信仰」する
家族イデオロギーのためにあるのだと思います。


彼らは自分が奉じる「信仰」にもとづいた
「家族のありかた」にしたがった家族が「健全」であり、
社会の成員すべてが「信仰」にしたがうことで、
社会秩序が保たれると信じています。

それゆえ「信仰」にもとづかない「家族」は、
不健全な家族であり社会秩序を乱すとして、
ひたすら排除する対象となります。
夫婦別姓や同性結婚は彼らに「信仰」にもとづかない
「異教徒」なので排除するということです。

彼らは自分の家族イデオロギーにしたがわせる手段として、
結婚制度を考えていることになります。
「社会や制度のために個人がいる」という考えです。

社会や制度は本来、人間の生活のためにある
人間が作り出した人間による「被造物」です。
彼ら反対論者たちの主張していることは、
「被造物」のために人間がいるということであり、
それは「創造主」である人間に対する反逆です。


選択的夫婦別姓や同性結婚の反対派には、
生活感がないと感じることがすくなからずあります。
「自分が改姓したくなければ、
結婚相手に改姓させればよかった」のように、
結婚は信頼と愛情の上に成り立つことが、
まったくわかっていないことを言うからです。

「夫婦別姓反対派・生活感の欠如」

結婚は生活の中ではかなり身近な問題だと思います。
それを結婚する個人を度外視して、自分の信じている
家族イデオロギーに対する「信仰」で考えるのも、
そうした生活感の欠如のうちだと思います。

posted by たんぽぽ at 22:07 | Comment(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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