歴史的失策をもたらしたのは、
因襲的な家族・ジェンダー観を標榜する人たちだ、
ということをお話しました。
「子どもの人口崩壊・だれがもたらした?」
人口の維持や回復に効果的な家族政策は、
因襲的な家族・ジェンダー観に
抵触することが多いので、彼らは効果的な政策に
ことごとく反対をするからです。
因襲的な家族・ジェンダー観を標榜する彼らは
日本社会における既得権益者です。
そして因襲的な家族・ジェンダー観は、
だいたい世界中のどこでも既得権益です。
少子高齢化を克服している国でも同様です。
「母性神話」「3歳児神話」を推進した人たちも、
アメリカ合衆国のピューリタンの
宗教的カチカンという、既得権益者たちの
因襲的な家族・ジェンダー観が背景にありました。
「行間を読む 8 <根強い「きずな」幻想>」
ボンディング研究がなぜこれほど
「熱心に広く受け入れられたか最も有効な理由」として、
女性には女性のふさわしい役割があるとする考え方が
社会に根強く存在していたことを挙げています。
とりわけ、ピューリタンの教義では、
「女性は家にいて家庭を守る高潔な『守護天使』」であり、
「女性の居場所は家であり、行い正しい子どもを
育てるのが役目」というものです。
そういう考え方の広がりは、
アメリカの母乳推進運動の背景にある、
伝統主義的なキリスト教徒家族運動とも
重なり合うものでしょう。
世界でもっとも子どもの割合が低いのは、
日本、韓国、イタリア、ドイツの4カ国です。
これらの国ぐには、このような因襲的な
家族・ジェンダー観を標榜する既得権益層が、
とくに強いことが考えられます。
「少子化4カ国の子どもの割合の推移」
イタリアはカトリックの総本山バチカンの
お膝元ゆえ、その宗教的カチカンの影響が強く、
因襲的な家族・ジェンダー観が
幅を利かせることは、容易にわかると思います。
「良妻賢母嗜好と出生率」
「良妻賢母が好きな国はなぜ出生率が低いか」
良妻賢母が好きでない国の方が出生率が高い」というものです。
少子化の国は「日本、イタリア、ドイツ、韓国」など
「伝統的家族観」が強いところ。当然良妻賢母が良しとされます。
イタリアなんか「マンマ」の国ですし。
その中でも因襲的な家族・ジェンダー観が
とりわけ強くはびこるのが日本です。
雇用とジェンダーやマリッジステートとの
むすびつきの強さが、その因襲的カチカンの
強さの表れのひとつだと思います。
「結婚・ジェンダーと雇用問題」
「非正規雇用の待遇 性別と働き方にジェンダーバイアス」
性別と働き方の関連性が日本は特に強いことを、
岩上真珠氏の論文は海外との比較によって明らかにしている。
韓国やイタリアは性別規範の強い国として有名だが、
これらと比べても日本は性別と雇用形態の結びつきが強い。
男性は未婚、女性は既婚に非正規雇用が多い
といったように婚姻と雇用形態の結びつきも強い。
「信仰としての家族思想」
「サザエさんに見る日本の“家族信仰”は異常
『シングルマザーの貧困』著者が語る、標準以外を無視する社会」
カースト制度も宗教制度もない国なのに、
家庭についてはいまなお、これほどまでに保守的なんです。
日本人は無宗教だといわれていますが、
実際は「家族教」を信仰する国といえるでしょう。
母性神話をあがめる宗教ですね。
日本の場合、因襲的な家族・ジェンダー観
というのは、戦後民法によって規定され、
さらに高度経済成長期の企業利益のために
定着させた「夫が外で働き妻が専業主婦で、
子どもはふたりくらいが理想」というものです。
「家族思想という信仰」
かかる因襲的な家族観は、高度経済成長を
もたらしたと信じられています
この「成功体験」のために、かかる因襲的家族観を
信奉する既得権益者は、日本社会において
とくに影響力が強いと考えられます。
その結果、既得権益者たちの利益に抵触する
効果的な家族・ジェンダー政策は不徹底となり、
「子どもの人口崩壊」という眼に見えるかたちで
その弊害が現れたということです。
「平成の歴史的失策・子どもの人口崩壊」
一般に時代が変化したり制度疲労が出たりして、
社会が変革をする必要になったとき、
その「必要な変革」は往々にして
既得権益者の利益と抵触することが多いです。
既得権益者はその社会的影響力を利用して、
社会全体の利益(コモンウェルス)を無視した
自分たちのローカルな利益を維持しようとします。
それゆえ「社会の変革」とは既得権益者たちを
いかに制するかの問題になることが
多くなると、わたしは考えています。
どんな時代のどんな社会にも
現在の社会的状況を適切に把握して、
適切な対策を提示する人たちはいると思います。
そうした対策が受け入れられ、変革が進むかどうかは、
妨害する既得権益層がどれだけ強いか、
という問題だと、わたしは思っています。
既得権益層がどれだけ強くなるかは、
前の時代の成功体験の徹底の程度によります。
それゆえどんな国や社会でも、
既得権益層が不必要に強くなることは
ありえることになります。
よってこの点に関して言えば、
本質的に「優れた/劣った民族」とか
「優れた/劣った国民」というものは、
ないのだろうと、わたしは思っています。
つまりどんな国民や社会でも、
賢くも愚かにもなりうるということです。