2019年06月12日

mar0006.gifパレート改善から見た別姓反対派の主張

6月11日エントリで選択的夫婦別姓は
パレート改善的制度であることを指摘する、
RIETIの山口一男さまの記事を見ました。

「選択的別姓問題と個人の自由の価値」

パレート改善とは利益を受けるものが必ずいて、
被害を受けるものはいない施策です。
反対する理由のないパレート改善的政策である
選択的夫婦別姓に反対する人たちは、
いったいなんなのかということになります。

 
選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)も、
それで得をするものだけいて、
損をするものはいないという、
選択的夫婦別姓のパレート改善性は
感じ取っているのではないかと想像します。

反対派(非共存派)の反対理由は、
つきつめれば「あいつらが夫婦別姓で不愉快」
「ボクのお嫁さんが改姓しないのは嫌だ」
になるのではないか、と思います。

これらをはっきり主張する反対派(非共存派)は、
めったに見かけないです。
それゆえこれらの理由がパレート改善性に
反証する「負の外部性」にならないことも、
彼ら反対派は感じ取っているのでしょう。


それでも選択的夫婦別姓には反対したいので、
彼ら反対派はべつの理由を考え出して、
選択的夫婦別姓のパレート改善性に
反証することになるのだと思います。

ひとつの手口として、推進派の主張を
パレート改善でないものにすりかえることがあります。
被害を主張できて、反対しやすくなるからです。

「あいつらは選択的と言っているが、
本当は全員に夫婦別姓を強制しようと
しているのだ」というのがその典型です。
こんな反対派の主張に根拠はないし、
単なる「言いがかり」にすぎないです。

それでもいくら訂正しても、この「言いがかり」に
しがみつく反対派は少なくないです。
選択的夫婦別姓のパレート改善性は
それだけ否定のしようがない厳然たる事実、
ということを示しているとも言えます。


推進派の主張をすりかえないとすると、
反対派(非共存派)は、具体的な被害者を探して
「負の外部性」を主張することになります。

たとえば夫婦別姓を選択する当事者の中に、
被害を受けるものがいると主張します。
「親が夫婦別姓だと子どもが不幸になる」がその例です。

選択的夫婦別姓を導入しても受益者がいない、
という主張を展開することもあります。
「旧姓使用でじゅうぶん解決」のたぐいです、


実際には夫婦別姓の家庭を調べても
「不幸な子ども」の事例は見つからないです。
また旧姓使用でじゅうぶん解決しないことや、
そもそも旧姓使用が認められないことは、
現実にはいくらでもあります。

この手の反対派(非共存派)の主張の根拠は
自分の経験プラス憶測程度しかないのが相場です。
それゆえ現実を示すことで、反証は容易であり、
彼ら反対派の根拠は崩れることになります。


当事者レベルで被害者がいないとなると、
反対派(非共存派)は社会全体のレベルで
「負の外部性」があると主張することになります。

「夫婦別姓は日本の伝統に反する」
「離婚が増えて、家族が崩壊し、国家が崩壊する」
「夫婦別姓は偽装に利用できて犯罪が増える」
といったたぐいのものです。

反対派の主張の多くはこのタイプだと思います。
これは選択的夫婦別姓は個人レベルで
「負の外部性」を主張しにくいということであり、
それくらいパレート改善性があきらか
ということを示していると思います。

そしてこれら反対派(非共存派)の主張は、
根拠などろくにないものばかりであることは、
さんざん検証されていることです。



このタイプの主張の巧妙なところは、
「選択的夫婦別姓を望む人は
個人的なことしか考えていないが、
自分たちは社会全体の利益を考えている」と、
反対派(非共存派)はコモンウェルスを
主張していると装えることです。

「社会全体の観点から話すのはだれか?」
「差別を肯定する「社会全体の視点」」


本当にコモンウェルスを考えているなら、
多数派だけでなく少数派も配慮できるし、
パレート改善的政策には当然賛成するはずです。

パレート改善的政策に反対して、
少数派の権利を排除しているのに、
コモンウェルスだと言い募る反対派は、
偽善的でさえあると思います。


残された反対派(非共存派)の手口は、
自分や自分と同じ立場のものを、
仮装被害者に仕立てることになるのでしょう。

といっても、自分と関係のない他人が
夫婦別姓を選択することによって、
自分が受ける被害を考え出すのは至難のわざです。
よってこの手の反対派の主張は苦しいものとなり、
はた目には意味不明になりがちです。


ひとつに「選択的夫婦別姓を認めると、
選択が強制される」というものがあります。
自由度が広がることに反対するのは
どういうことだ?という疑問があります。

選択的夫婦別姓にそこまで頑迷に
反対するのですから、選択が認められたところで、
迷うことなく夫婦同姓を選択することは
陽を見るよりあきらかだと思います。

そこへもってきて「選択が強制される」なんて、
あたかも自分が選択に悩むように言うのは、
実にしらじらしいと思います。


ほかによく見られるものとして、
「全員が夫婦同姓であることに価値がある、
夫婦別姓が選択できるようになると
結婚の価値を失なう」があると思います。

他人の権利を侵害することで成り立つ
「価値」とはなんぞや?という疑問があります。
そんな「価値」を主張するのは「加害者」です。
パレート改善を判断する「負の外部性」として
考慮するものではないでしょう。

ようは「あそこに夫婦別姓の人たちが
いることが不愉快だ」を、ていよくことばを
言い換えて、自分が被害者であるかのように
装っているだけだと思います。


パレート改善的政策という観点から見た
選択的夫婦別姓の反対派の主張は、
これが「限界」ではないかと思います。

これ以上正直に主張しようとしたら、
「あいつらが夫婦別姓なのが不愉快」とか、
「ボクのお嫁さんが改姓しないのはいやだ」とか、
直裁的に言うしかないと思います。

ここまであからさまだと、パレート改善の
「負の外部性」になりえないのは自明です。
反対派としても、そのような自己中心的で
差別的なことを考えていることは、
うまく隠して誤魔化したいでしょう。

よってこれ以上きわどいことを言う
反対派はおそらくいないだろうと、
わたしはいちおう考えておくことにします。

posted by たんぽぽ at 23:19 | Comment(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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