選択的夫婦別姓の記事です。
「あした元気になあれ 自分の名前に訂正印=小国綾子」
「あした元気になあれ 自分の名前に訂正印=小国綾子」(全文)
望まない結婚改姓を強いられて
悲しい思いをする女性が出てくる状況は、
四半世紀前から変わっていない、という主旨です。
同志社大法学部の大学生らを前に
「夫婦別姓」をテーマに講演したときのこと。
「通帳などの名義変更で、大切な自分の名字に
バッテンをつけられ、修正された。とても苦しかった」
感情がこみあげるのを何度も押し殺し、
冷静さを懸命に保とうとする姿に、
私の方が泣きそうになった。
1995年秋、私もまったく同じ悔しさを味わったからだ。
結婚直後、郵便局の通帳や健康保険証の名義変更をした。
何度も「小国」の姓に赤ペンで二重線を引かれた。
夫姓の印鑑で、そこに訂正印を押印させられた。
自分の生きてきた年月を訂正しろ、と言われた気がした。
私は私でいてはいけないのか、と息苦しきなった。
25年近く経過したというのに、
選択的夫婦別姓問題に関して、現実がまったく
変わっていないことに、無力感やもうしわけなさを、
記事著者は感じてもいます。
2019年の現在、世界のほとんどの国で
選択的夫婦別姓が認められています。
そんな中にあって、なぜ日本だけが
進展がないままなのかと思うところです。
記事著者が結婚改姓の苦難に直面したのが
1995年の秋、そしてその自分の体験を
記事に書いたのが1996年6月とあります。
選択的夫婦別姓法案の法制審議会の答申が
出されたのが1996年で、ちょうどこのころです。
選択的夫婦別姓の実現はもうじきだと
思ったかたもいらしたと思います。
残念ながら実現はしなかったのでした。
記事にある「賛成が反対を上回った」は、
おそらく2001年に発表された法務省の
世論調査のことだろうと思います。
選択的夫婦別姓制度への賛成が反対を上回ったのを見て、
「そろそろ実現するだろう」と高をくくっていた。
政府が選択的夫婦別姓の導入に
反対してきた理由のひとつに
世論調査で反対が多いことがありました。
その理由がなくなったことになります。
またこのころは野田聖子たち自民党の
選択的夫婦別姓の推進派議員が、
活発に活動しているときでもありました。
「世論調査で賛成が上回ったし、
自民党も動き出したし、選択的夫婦別姓は
もうじき実現するだろう」と思ったかたは、
結構いらしただろうと思います。
実際、実現間近と思うかたがいても、
無理もない状況だったと思います。
実はわたしはこのころ、選択的夫婦別姓は
実現しないだろうと思っていました。
自民党の反対派議員の実態を知ったからです。
「自民党法務部会の実態 民法改正法案提出阻止の現場」
いかなる事実や根拠も通用せず、
党内での力関係を利用して法案提出を
阻止することしか考えない、彼ら反対派議員を見て、
自民党が政権を取っているうちは
選択的夫婦別姓法案の実現は無理と、
わたしは悟ったのでした。
「選択的夫婦別姓・15年前の悪夢」
かくいうわたしも、2009年に民主党が
政権を取ったときは、選択的夫婦別姓が
実現するのは、間近だろうと楽観していました。
「民主党政権で実現しなかった理由」
民主党の公約の中でこんなのサクっと決まるだろと思ったら実現しなかったものの一つ 「選択的」なのにねえ / “「選択的夫婦別氏法案」を5野党1会派で衆院に提出 - 立憲民主党” https://t.co/rRNHxUiQdw
— キク (@kiq) June 15, 2018
わたしの誤算はふたつありました。
ひとつは連立政権に参加していた
国民新党の亀井静香が、選択的夫婦別姓法案の
閣議決定に応じなかったことです。
「亀井静香・政界から引退」
もうひとつは民主党の議員たちが
想像以上に口だけで行動力のない「チキン」で、
世論の反発を恐れて選択的夫婦別姓の
実現に消極的になったことです。
2012年12月に自民党・安倍政権が発足、
選択的夫婦別姓の実現を阻止した
中心的存在が政権を取ったことで、
ふたたび暗雲に包まれることになります。
2011年に提訴した夫婦別姓訴訟も、
2015年の最高裁判所大法廷回付で、
夫婦同姓の強制に合憲判決が出ます。
「夫婦別姓訴訟違憲判決ならず」
2018年から4件の夫婦別姓訴訟が
起こされていますが、これらも見通しは
あまり明るくないと思われます。
「選択的夫婦別姓・もう一度法廷へ」
日本で選択的夫婦別姓が実現するのは
いったいいつになるのかと思います。
現時点では実現の見通しはないようです。