9月1日エントリの続き。
「みらい選挙プロジェクト」の三春充希氏は、
「令和」「平成」「昭和」という
元号を使っていないようです。
わたしが見たかぎり、以下の記事には出てこないです。
ほかの記事もどれもそうだろうと思います。
ツイッターでも使っていないようです。
「そしてあの時、少子化を避ける最後の道をなくした――「武器としての世論調査」番外編B 」
「なぜ投票率はこんなにも低いのか? なぜ無党派層はこんなにも多いのか? それは『ある時』に始まった。――「武器としての世論調査」番外編A 」
わたしのエントリでは「平成時代から
投票率が下がった」のような表現があります。
これらはすべてわたしによるもので、
三春充希氏のもとの記事にある表現ではないです。
もとの記事では「1990年から投票率が下がった」
というような表現をしています。
三春充希氏はおそらく意識して元号を
避けているのではないかと、わたしは想像します。
単純に年数を数えるのに不便以外に、
なにかポリシーがあるのかはわからないです。
ポリシーがあるとしたら、
1. たったひとりの人間の死や辞職だけで変化する、
きわめて恣意的な暦を使うのは、
政治的にも民主主義的観点からも問題。
2. たったひとりの人間の死や辞職だけで変化する、
きわめて恣意的な時代区分を使うのは、
学術的にも意味がない。
だろうと思います。
わたしもこれら1.と2.をかんがみて、
元号を使うことを避けるのが、本来だろうと思います。
それでも「令和」「平成」「昭和」という元号にも、
一定の社会情勢をイメージさせるものはあります。
また「明治憲法」「大正デモクラシー」
「昭和元禄」のように定着した用語もあるし、
元号による時代区分が学術的根拠を持つこともあります。
それゆえ元号で時代区分を表すことが
便利だ思われるときは、あえて避けないで
使ってもいいだろうと、わたしは考えています。