第一次夫婦別姓訴訟(2011年提訴、
2015年最高裁大法廷回付)の
原告団の団長をなさっていた、
塚本協子さんがなくなりました。
「夫婦別姓/第1次訴訟原告団団長の塚本協子さんが亡くなられました」
「塚本協子さん死去」
「夫婦別姓訴訟の原告 塚本協子さん死去 84歳 制度導入目指し「ななの会」結成」
謹んでお悔やみもうしあげます。
最高裁判所の最高裁判所大法廷
平成27年(2015年)12月16日判決は,
夫婦別姓訴訟(民法上の夫婦別姓)が
初めて立法不作為訴訟として提起され,
初めて最高裁判所の判断が出されたものでした。
そのいわば夫婦別姓訴訟の第1次訴訟の
原告団の団長を務められた塚本協子さんが,
9月14日にお亡くなりになりました。84歳でした。
『夫婦別姓/第1時訴訟原告団団長の塚本協子さんが亡くなられました』
— 作花知志 (@sakkacom) 2019年9月16日
⇒ https://t.co/oUh9i5mkVq #アメブロ @ameba_officialさんから
#選択的夫婦別姓 の第一次訴訟で原告団長だった塚本協子さんが亡くなりました。第二次訴訟の東京地裁判決は、10月2日に出る予定。2015年の最高裁判決は国会に議論を求めましたが、今も何も進んでいません。 https://t.co/1plJGFCvK4
— 杉原里美/Satomi Sugihara (@asahi_Sugihara) September 16, 2019
選択的夫婦別姓第一時訴訟の原告団の団長を務められた塚本協子さんがお亡くなりになったとのこと。法改正が間に合わず、彼女が望んでいた「最後は元の名字で」を実現できなかった。悔しい。彼女から受け取ったバトンを堅く持ち、私たちの世代で必ずゴールしよう。 https://t.co/PCU4m4B0IH
— 青野慶久/aono@cybozu (@aono) September 16, 2019
「塚本協子」の名前で死にたいという願いは、
ついにかなわないままとなりました。
15年に最高裁大法廷で夫婦同姓を定めた
民法の規定を「合憲」とした判決が出された後にも
「『塚本協子』の名前で死にたい」と制度の導入を求めて
「選択的夫婦別姓を実現する会・富山」の顧問として
講演会やワークショップなどの活動を続けた。
亡くなる直前まで「男女問わず自由に
名前を選べる時代に」と積極的に発言した。
塚本さん、お亡くなりに…。
— としき (@tdf18lalpduez) 2019年9月15日
「(結婚しても)自分の生来の姓で生涯を全うしたい」っていう、こんな簡単で誰にも迷惑かけない願いすら叶えられないなんて…。
ずっと先頭を走ってきてくださったこと、感謝しかありません。
お悔やみ申し上げます。
付記:
このブログに塚本協子さんから
コメントをいただいたことがあります。
2011年、夫婦別姓訴訟を提訴したころです。
「子ども手当があぶない」
「夫婦別姓訴訟の提訴」
「ささやかな情報源」
こんなつなたいひなびたブログに
お越しくださって、おそれ多いです。
とても、残念なニュースでした。
一次訴訟があって、跳ね返されたからこそ、
今の二次訴訟は風が変わってきたのだと思います。
先頭にたって、苦難を引き受けてくださったことに
感謝の気持ちしかありません。
こちらにコメントありがとうございます。
>とても、残念なニュースでした
わたしが懸念していたことが、
現実になってしまいました。
懸念は、塚本協子さんが生きているあいだに、
選択的夫婦別姓は実現しないのではないか、
ということです。
>感謝の気持ちしかありません。
わたしたちにできること、なすべきことは、
塚本協子さんの意思を引き継いで、
選択的夫婦別姓を実現することですね。
それが最大の供養だと思います。