ふたつの夫婦別姓訴訟の判決を見てきました。
「最高裁判決からの事情の変化」
「最高裁判例を変更する変化はなにか?」
両方に共通するのが「2015年の最高裁判決から、
夫婦同姓の強制を違憲とするほどの
社会事情の変化があるとは言えない」です。
「夫婦同姓「違憲とまでは」 東京地裁、原告の訴え棄却」
品田幸男裁判長は「夫婦同姓を合憲とした
平成27年の最高裁判決後、夫婦別姓の導入について
議論が高まっているものの、民法の規定が違憲となるような
事情の変化があるとは言えない」と指摘した。
「夫婦別姓訴訟で敗訴「何%の人が容認したら変わるのか」」
判決は、夫婦別姓を巡る社会情勢の変化を
「姓が家族の一体感につながるとは
考えていない人の割合が増えつつある」などと指摘。
ただ、同姓を定めた規定を合憲とした2015年の
最高裁判決の当時と比べて「その判例を変更するほどの
変化があるとは言えない」と述べた。
「社会事情の変化があるとは言えない」は、
すでに「反証不可能」な命題の域に
入っているのではないかと、わたしは少し思っています。
おおよそ実証的な議論における命題は、
すべて「反証可能」である必要があります。
その命題に対して反論して間違いを示す、
なんらかの手立てが考えられるということです。
「カール・ポパー、反証主義とは」
「反証可能性」
「科学の条件とは(4)反証可能性ってなに?」
どうやっても反証する手立てのない
「反証不可能」な命題を持ち出すのは、
実証的な議論であってはならないです。
それはその命題が正しいか誤っているかを
検証できない、ということだからです。
それゆえ「とんでも」な主張をする人は、
往々にして「反証不可能」な
命題にしがみつくことになります。
間違いを示すことが論理的に不可能になるので、
自説を反論されたくない根拠薄弱な
主張をする人には、都合がいいからです。
「社会事情の変化があるとは言えない」が
なぜ「反証不可能」とわたしが考えるかですが、
どのような社会情勢の変化を示しても、
「現行民法を違憲とするほどの変化はない」
という反論を返すことができるからです。
こうなると「変化がない」ことに反証する、
つまり「変化がある」ことを証明することが、
論理的に不可能になります。
実証的な議論をするためには
命題を「反証可能」にする必要があります。
この場合は、どのような条件を満たしたら
「夫婦同姓の強制を違憲とするだけの
社会事情の変化がある」とするかを、
具体的かつ客観的に提示することです。
たとえば「世論調査で何パーセント以上の人が
選択的夫婦別姓に賛成したら、
『社会事情に変化がある』とする」のように、
明確な基準を設けることです。
そうすれは反証が可能になります。
世論調査で選択的夫婦別姓に賛成が
少ないうちは、「社会情勢の変化はない」と
言われれば、「なるほどそうなのか」と考えて、
選択的夫婦別姓が認められるよう
社会情勢を変えようとするでしょう。
世論調査で賛成が反対より多くなっても、
相変わらず「社会情勢の変化はない」と返すなら、
もうどんな事実や根拠を示しても
「社会情勢の変化はない」と言い続けるのではないかと
疑わしくなってきます。
選択的夫婦別姓の反対派と議論すると、
どれだけたくさんの事実や根拠を
示しても「選択的夫婦別姓を導入する
必要性が伝わってこない」と言い続けます。
裁判所の判決も、自説が永久に反論されないために、
論理的に反証が不可能な命題を盾にする
選択的夫婦別姓の反対派と同じになっている
可能性が考えられるということです。