2019年11月04日

toujyouka016.jpg 選択的夫婦別姓・国民的議論が必要?(2)

10月31日エントリの続き。

「四条烏丸」は選択的夫婦別姓の実現には
「国民的議論」が必要だと主張します。
国民的議論が起きていないので
選択的夫婦別姓にはニーズが低いのだそうです。

「選択的夫婦別姓の実現には国民的議論が必要だと主張する反対派(非共存派)」

 


「国民的議論が必要」論を主張する人は、
選択的夫婦別姓の反対派によく見られます。
これに対して、いくつか疑問が出てきます。
ここではつぎの4つをあげておきます。

a. 本当に「国民的議論」が必要か?
b. 「国民的議論」の「国民」は具体的にだれか?
c. 「国民的議論」をする論点はなにか?
d. どのような議論があれば
 「国民的議論」があったとするか?



a.に関して

選択的夫婦別姓に直接関係のある人だけ、
議論に参加すればよいと思います。
具体的には夫婦別姓の選択肢が必要な人、
結婚改姓の問題に直面している人です。

ほとんどの政策は「国民的議論」などせず、
一部の利害関係者だけで議論します。
それで問題が起きることはないです。

自分は夫婦同姓を選択するが、
他人が夫婦別姓を選択することは
自由にやればよいと思っている人には、
選択的夫婦別姓問題は関心が薄いでしょうし、
議論に加わる必要はないように思います。

選択的夫婦別姓は人権問題です。
人権の保障はかならずなされるべき責務であり、
多数決で決めてならないものです。
「国民的議論」をしないと、選択的夫婦別姓の
是非を決められないことが、
そもそもおかしいことです。


b.に関して

「四条烏丸」は、わたしのことを
根拠もなく未婚と決めつけ、
結婚していないから選択的夫婦別姓問題に
たんぽぽは関係ないと、しばしば裁断します。

「「国民的議論が必要」の国民はだれか?」

「四条烏丸」にとって、わたしのような
立場のものは、選択的夫婦別姓についての
「国民的議論」に参加する必要がある
「国民」に含まれないのでしょう。

国民なら無条件に関係者とされないのなら、
議論に参加するべき「国民」とは
どんな立場の人たちだと「四条烏丸」は
考えているのか、という疑問が出てきます。

またわたしの立場のもののように、
あからさまに排除される人がいる「議論」を
「国民的議論」と呼ぶのかという疑問もあります。


c. に関して

「国民的議論」が必要というからには、
「この点について議論が必要だ」という、
具体的な論点があるはずです。
「四条烏丸」にはその論点を示してほしいです。

「国民的議論が必要」と言う選択的夫婦別姓の
反対派(非共存派)よくいるのですが、
具体的な論点まで示す人はなぜかいないです。

論点が示されなければ議論のしようがないです。
「国民的議論」をするために必要なので、
ぜひ議論する論点を提示されたいです。


d. に関して

どのような議論があれば「国民的議論」が
あったと言えるのか、「四条烏丸」は基準を
はっきり示していただきたいです。

このままではどれだけ選択的夫婦別姓の
議論が存在することを示しても
「それは国民的議論とは言えない」と
言い返せるので「反証不可能」です。

「反証可能」が実証的な議論の原則です。
この議論を反証可能にするために
「四条烏丸」は「国民的議論」の基準を
明確に示す必要があります。


また「自分が知らないだけで、国民的議論は
すでになされている」という可能性を
「四条烏丸」は考えておく必要もあると思います。
「四条烏丸」は「自分の知らないことは
存在しない」と考えがちだからです。

posted by たんぽぽ at 07:11 | Comment(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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