2019年11月24日

toujyouka016.jpg 夫婦同姓の強制は多数が受け入れている?

11月22日エントリの続き。

原告が敗訴するという、たいへん残念な
結果になった広島の夫婦別姓訴訟ですが、
11月19日の中国新聞の記事に
国側の主張が少し紹介されています。

「夫婦別姓禁止に「合憲」判決 広島地裁が賠償請求を棄却」

 
新聞記事で紹介されている国側の主張のうち、
このエントリはこちらを見ていきます。

「現在の制度は社会の多数が受け入れており
十分に合理性がある」と主張していた。

「社会の多数が受け入れている」というのも
こうした場合の定番の主張だと思います。
なにをもって「多数が受け入れている」とするかの基準が
はっきりせず恣意的にできて便利だからです。


2015年12月の東京新聞のアンケートでは、
男性の66.9%、女性の85.8%が
選択的夫婦別姓の導入に賛成しています。

「東京新聞・別姓のアンケート」



反対している人は男性の30.4%、
女性の10.4%で問題なく少数派です。
これでも現行の夫婦同姓の強制は
「社会の多数が受け入れている」のかと思います。

それとも男女とも全体の半数程度をしめる、
「自分は夫婦同姓を選択するが、
他人の夫婦別姓は構わない」は、
現行の夫婦同姓の維持に反対していなくて
「受け入れている」と、解釈するのでしょうか?


どのような条件を満たしたら、
現行の夫婦同姓の強制を「社会の多数が
受け入れている」と言えなくなるのか、
たとえば世論調査で選択的夫婦別姓に賛成が
何パーセント以上とか、明確な基準を
しめしてほしいものです。

そうでないと、選択的夫婦別姓の導入を
必要とするどんな状況を示しても
「現行の夫婦同姓は社会の多数が
受け入れている」と反証できることになります。

裁判所の判決の「社会情勢の変化がない」と同じで、
「社会の多数が受け入れている」も
反証不可能な主張になるということです。

「社会事情の変化がない・反証不可能性」


選択的夫婦別姓は人権問題です。
それを現状を「社会の多数が受け入れている」
なんて「多数決」で否定することが、
そもそも間違っていることです。

「夫婦別姓・少数派の権利と世論調査」

人権問題は多数決によらず、
つねに保障しなければならないことだからです。
その人権が被差別マイノリティのものなら、
なおさら多数決をしていたら、
いつまでも保障されないでしょう。

「「選択的夫婦別姓」はなぜ今もって認められないのか?−−別姓訴訟と24条」

打越 本当は、世論調査で「選択的夫婦別姓に
賛成が何パーセント、反対が何パーセント」というのは
意味がないと私たちは思っているんです。
人権の問題なので、「多数の人が別姓をよくないと
思うからダメです」ということではないはずです。

「別姓にしたい」という個人が少数派でも、
その人の選択を認めない現在の法律は合理性があるのか、
違憲ではないのか、を問うているのですから。
これは国連女性差別撤廃委員会からも指摘されていることです。


ましてや選択的夫婦別姓の導入は、
利益のある人が存在して、かつそれ以外の人には
損失のない「パレート改善」です。
なおさら反対する理由のないことです。

「選択的夫婦別姓はパレート改善」
「選択的別姓問題と個人の自由の価値」

筆者が選択的別姓を支持するのは、
これがパレート改善的制度だからであり、
自由主義的社会制度設計の基本概念にかかわるものだからである。
パレート改善的制度とは、その制度により誰も損をするものはなく、
少なくとも一人以上の人が得をする制度を言う


現行の夫婦同姓の強制を「社会の多数が
受け入れている」というのなら、
それは差別や人権侵害を社会の多数が
支持していることになります。

社会の多数による差別や人権侵害を
禁止するために、積極的に法律を定めて
規制する必要があるくらいです。

posted by たんぽぽ at 21:19 | Comment(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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