「夫婦別姓訴訟は『変われない日本』の象徴?」
というタイトルの記事があります。
「夫婦別姓訴訟は「変われない日本」の象徴?」
ほかの選択的夫婦別姓問題を紹介する
記事とくらべて、記事内容が独特なので、
簡単に見てみたいと思います。
記事は4件ある夫婦別姓訴訟のうち
「信条による差別」で訴えているもののひとつ、
広島地裁で行なわれている訴訟の判決が
出る前日に掲載されています。
残念ながら、11月15日、東京地裁立川支部は
夫婦同姓を定めた民法の規定を合憲と判断し、
原告の主張を認めませんでした。
11月19日の広島地裁の判断に期待したいです。
記事では「期待したい」と書いていますが、
期待を裏切る判決となりました。
「夫婦別姓訴訟(信条による差別)・原告敗訴(2)」
記事は選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)の
主張を取り上げ、その反論に多く当てています。
夫婦別姓の話になると「なぜ、相手の苗字になる事が
それほど嫌なのか」という意見が挙がることがあります。
男性が女性の氏を名乗ることもできるのだから、
女性差別ではない」という意見をよく耳にします。
2015年、最高裁判所も「民法に男女の不平等はない」とし、
夫婦が同姓でなければいけないと定める
民法750条を憲法違反ではないと判断しています。
夫婦別姓に反対する人の声の中には
「同じ氏が嫌ならば、事実婚をすればよい」
という意見もありますが、
記者会見中に恩地さんが語った
小包のエピソードや入院の際の見舞いの話は、
傍から見ると「たいしたことない問題」だと
片付けられがちです。
政府は別姓を認める代わりに
「女性は旧姓を通称として使えば
良いのではないか」としていますが、
弁護団事務局長の野口さんは「通称としての旧姓は
法律に規定がないため、その扱いが
会社や人事部などに委ねられているのが
現状」だと語りました。
今なお「女性は夫の氏を名乗って当たり前」という
ニッポンの感覚の根底には、家制度 があります
これら反対派(非共存派)の主張は、
選択的夫婦別姓問題にある程度以上
かかわっているかたたちなら、
(不本意ながら)おなじみのものだと思います。
反対派の主張に対する反論は記事にも
述べられていますし、少しネットを検索しても
見つけられるだろうと思います。
またこれをご覧のかたでしたら、
ご自分で示すこともできると思います。
この手の記事は、選択的夫婦別姓が
なぜ必要なのかや、夫婦別姓が選択できず
現実に困っているかたの体験に
文章が多く取られることが多いです。
そうした中にあって反対派の主張の紹介と
その反論に紙面の大半が取られるのは、
ほかにはなかなかないと思います。
「選択的夫婦別姓の必要性」に
紙面を多く取る記事が多いのは、
この問題にほとんど予備知識のないかたが
読むことを想定していることがあると思います。
このほかに「必要性」を訴えたほうが
一般からの理解を得やすいと考えているのも
あるのではないかと思います。
わたしはもっと選択的夫婦別姓の
反対派(非共存派)の主張やその反論に
重点を置く記事が増えても
いいのではないかと思います。
今年2020年は法制審議会の答申書から
すでに24年が経過しています。
これだけ長い時間実現しないのは、
「必要性が伝わらないから」ではなく、
「反対派が妨害するから」なのは自明だと思います。
彼ら選択的夫婦別姓の反対派の主張は
その多くが根拠にとぼしく、
適切なリテラシーを持ったかたであれば、
そのナンセンスさがすぐに理解できるものです。
それゆえ彼ら反対派の実態とその主張を
もっと多く知ってもらうことは、
選択的夫婦別姓の理解を広める上で
効果的ではないかとわたしは思います。
付記:
わたしのサイトは開設した2004年の当初から、
反対派(非共存派)の主張や精神構造に
重点を置くという方針でした。