2020年04月02日

toujyouka016.jpg 問題は「他人の自由を制限してよいか」

3月29日の山陽新聞に、選択的夫婦別姓に
関する記事がありました。

「選択的夫婦別姓を実現するために 変えるべきものを変えられる社会に」

この記事は夫婦別姓訴訟や、憲法との関係、
苗字の歴史、そして選択的夫婦別姓の反対派の
主張や態度に記述が当てられています。

 
このエントリでは次の重要な指摘について
取り上げたいと思います。

今回は、選択的夫婦別姓について考えてみたいと思います。
この議論の出発点は、「夫婦同姓が良いか、
夫婦別姓が良いか」ではなく、
「夫婦別姓を望む人の自由を制限してまで
夫婦同姓を強制して良いか」という点です。

選択的夫婦別姓の問題は「選択か強制か」です。
「夫婦別姓か夫婦同姓か」の対立ではないです。
これはこの問題の核心であり、
何度でも確認しておいてよいと思います。

「問題は共存か非共存か」


よって夫婦別姓を選択しないであろう
「マジョリティ」にとっては、
「他人が夫婦別姓を選択することを
認められるか」という問題になります。

それゆえ選択的夫婦別姓に反対する
ということは「他人が夫婦別姓を選択する
自由を認めない」ことになります。

ですので、夫婦が同姓であることが
夫婦のつながりを強くするという考えが
正しいとしても、夫婦別姓が良いという人
(別姓でも夫婦としてのつながりを感じる人)の
夫婦別姓を選ぶ自由を制限する理由にはならないと考えます。

この考えが成り立つとすれば、
個人より家族を優先すべきという考え方が
前提になると思いますが、現在の憲法は
そのような考え方をしていません。


選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)は、
この核心から眼をそらしたがります。
彼らも「選択か強制か」が問題では、
「強制」を主張する自分たちに不利だと、
わかっているのでしょう。

自分と関係のないまったくの他人が
夫婦別姓を選択する自由に反対する理由なんて、
彼らも見つけられないということです。

そこで問題を自分たちに有利にするために、
反対派は「夫婦別姓か夫婦同姓か」の対立に
見せかけようとすることになります。


3月26日エントリでお話した
2019年7月の『女性自身』の記事でも、
自民党の選挙公約では、「選択的夫婦別姓」から
「選択的」という語が抜けて不正確だ
という指摘がありました。

「「選択的」を省く選択的夫婦別姓の反対派」
「安倍首相 夫婦別姓で支離滅裂答弁の陰に9年前のトンデモ文書」

なんと自民党は9年前、選択的夫婦別姓制度は
民主党が企てる国家転覆策の一つだと主張していたのだ。
そもそも、この政策集では「選択的」という語が
省かれていることも不正確だ。

「選択的夫婦別姓」から「選択的」をはずして、
ただ「夫婦別姓」とだけ言うところに、
「選択か強制か」という問題の本質は
彼ら選択的夫婦別姓の反対派にとって
都合が悪いことがあらわれていると思います。


1月に朝日新聞が行なった選択的夫婦別姓の
世論調査では賛成が69%でした。
2月にJNNが行なった世論調査では、
選択的夫婦別姓に賛成は72%でした。

「選択的夫婦別姓・ふたつの世論調査」


これだけ選択的夫婦別姓に賛成する人の
割合が高いということは、
夫婦別姓を選択しない人たちの多くも
賛成していることになります。

問題の核心は「選択か強制か」であること、
そして「他人が夫婦別姓を選択する自由を
認める」という問題である、という理解が
だいぶ浸透していると言えます。

posted by たんぽぽ at 22:38 | Comment(0) | 民法改正一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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