「夫婦別姓だと犯罪が増える」という、
自民党愛媛県議の森高発言は男性特権の
「無知の末路」だと批判する記事の続きです。
「「夫婦別姓は犯罪が増える」というトンデモ発言は“男性特権”が生んだ無知の末路(清田隆之)」
ここでは選択的夫婦別姓問題に関して、
「考えなくてよいこと」「知らないで
いられること」を「男性特権」としています。
正直なところ、私はこれまで自分の姓が変わる
という発想をしたことがほとんどなかった。
結婚によって別の名字になる
なんて思ったこともなかった。
これはまぎれもなく“男性特権”のひとつだろう。
名字変更について考えなくてもすんでしまっている──。
利益を得ている自覚はなくともその時点ですでに特権なのだ。
一般に権利が侵害されるとか、侵害される
可能性のある人は、自分の権利を守るために、
その問題についてさまざまな知識を得て、
対象方法を考える必要があります。
そうしないと自分の尊厳を守れないからです。
結婚改姓を現実に直面する人は、
選択的夫婦別姓問題についていろいろ調べ、
改姓しないためにはどうするかや、
実際に改姓することになった場合
どうするかを、考えることになります。
結婚改姓する可能性のない人は、
選択的夫婦別姓問題について、
知識を得たり対処を考える必要はないです。
そんなことをしなくても、苗字に関する権利を
侵害される心配がないからです。
結婚改姓の問題に直面するのは
現代の日本社会においてはもっぱら女性です。
男性は結婚改姓に直面することはないです。
それゆえ選択的夫婦別姓について
なにも考えないでいられるのは男性であり
「男性特権」ということになります。
「なにも考えなくていい特権」というのは、
「なにかができる特権」と違って、
わかりにくいものがあります。
なにも考えないゆえに意識しにくいからです。
それゆえ権利侵害のための対策を
なにもしなくていいことを「特権的立場にある」とは、
気がつきにくいことになります。
なにも考えなてくていい特権に気づけるのは、
ある程度以上人権意識があるかたです。
人権意識がふじゅうぶんだから、
特権に安住するし、そのわかりにくさゆえに
特権に気づかないのだと思います。
選択的夫婦別姓について考えることは、
男性特権について考えることにもつながる。
考えなくてすむということは
知らずにすんでしまうということだ。
しかしそれは、言い換えれば「無知」ということでもある。
はたして、俺たちは無知のままでいいのだろうか?
現在の日本は婚姻の96%のケースで
女性が結婚改姓します。
よって女性はかならず結婚改姓して、
男性は結婚改姓しないと決まっているも同然で、
ジェンダー差がきっちりしています。
しかも結婚改姓しない男性は
選択的夫婦別姓問題について、なにも考えないで
いられるという点も、きわだっています。
選択的夫婦別姓について考えることは、
男性特権について考えることに
つながるということにもなりそうです。
「特権」に安住してなにも考えないでいると、
その問題に対する見識は、せいぜいが
世間的な偏見レベルにとどまります。
それがさらに高じてくると、
無知蒙昧がきわだち非常識になっていきます。
単にその問題に対して非常識なだけなら、
本人が大恥をかくだけのことです。
ことが人権問題となると、その非常識は
他者に対する人権侵害を引き起こします。
「夫婦別姓で犯罪が増える」という認識が
「男性特権の末路」というのは、
そうした非常識と人権侵害のきわみだ、
ということなのでしょう。
それくらい異様で不可解で現実がまるで
見えていない浮世離れした認識だ、
行き着くところまで行き着いたと、
この記事著者は感じたのだと思います。
記事著者は最後に「そんな人間にだけは
絶対になりたくない」と問題の自民党の
愛媛県議と、その発言を糾弾します。
ここまで酷評されることもさることながら、
「夫婦別姓で犯罪が増える」発言に対しては、
それくらい嫌なものを見たという、
著者の気持ちが伝わってくるようです。
「選択的夫婦別姓は犯罪が増える」という
愛媛県議員の発言は、男性特権が生んだ
無知の末路だと私には思えて仕方ない。
そんな人間にだけは絶対になりたくない。
マジョリティや社会的強者は、
ある意味「特権」だらけだと思います。
「その属性にある」というだけで、
社会構造を利用して有利な
立場を得られるからです。
苗字に関しては、「女性が改姓するもの」という
強烈な社会通念があります。
男性というだけでその社会構造を
利用して有利な状況を得ることは、
べつだんむずかしくないので、
やはり「男性特権」とになるでしょう。