長尾たかしのインタビュー記事で、
「サザエさん」が引き合いに出されていることを、
前のエントリで見てきました。
「日本人の「生活」を法律で縛るべきなのか? 長尾敬・衆議院議員に聞く 「選択的夫婦別姓」のはなし【3】」
長尾議員:「サザエさん」のような
三世代同居の家族の形は珍しくなってきて、
家族の形をめぐる時代の変化はあり、
議論が出てくるのは理解できます。
夫婦で違う姓を認めてもらいたい、
というのは一つの流れだとは思います。
選択的夫婦別姓の議論で「サザエさん」が
引き合いに出されることに関しては、
もっと大きな「突っ込みどころ」があります。
それはよくご存知のように、
サザエさんの一家は「磯野」「フグ田」という
ふたつの苗字があって、ひとつの家族の中に
別姓のメンバーがいることです。
「サザエさんのような家族は珍しくなってきて..」のところは噴飯もの。磯野家の主役であるサザエさんの名字が磯野じゃないのをわかっているのかな?違う名字の人がいたって昔から家族は家族だよ。
— 青野慶久/aono@cybozu (@aono) April 25, 2020
文脈から考えて長尾たかしは、
「サザエさん」一家を「古きよき家族」と
とらえているものと思います。
その「古きよき家族」が別姓家族であることと、
選択的夫婦別姓に反対することは、
どう矛盾なくつながるのかと思います。
サザエさんの一家が別姓家族なのは、
サザエが結婚改姓して夫のマスオと同じ
「フグ田」姓になったからです。
妻の結婚改姓によって、妻の両親とは
「親子別姓」になることは、長尾たかしは
どう考えているのかと思います。
一般に選択的夫婦別姓の反対派(非共存派)が
無視することだと思います。
「波平と舟は夫婦同姓だし、サザエもマスオと
夫婦同姓になっているから問題ない」と、
長尾たかしやほかの反対派(非共存派)は
考えるのでしょうか?
そうだとしたら、その結果サザエと波平、舟が
「親子別姓」になったり、サザエとカツオ、ワカメが
「きょうだい別姓」になっても問題ないのはなぜか、
理由が必要だと思います。
「知恵蔵」のサイトを見ると、
サザエがマスオの苗字に改姓することで、
夫や夫方の親の体面を保てるとあります。
「マスオさん現象(読み)ますおさんげんしょう」
姓は夫方を名乗るため、夫や夫方の親の体面も保てる。
サザエさん一家が「親子別姓」「きょうだい別姓」でも
問題ないと反対派が考える理由は、
まさかこんなことではありますまいね?